ここ最近ピアスをつけてみたり、髪の毛を明るくしてみたり、若かりし頃の感覚でファッションを楽しんでいるのですが、小心者の僕がなぜまたそんな事をし始めたのか自問自答をしてみました。
隠す事のできない首という場所に刺青を入れたり髪の毛をピンク色にしたり、左耳のピアスは拡張をしていて、ほんのちょっと前まで小指が入るくらい大きかったのに最近は爪楊枝一本分くらいまで縮みました。
人体って本当に不思議です。
歳をとれば少しずつ人の意見に耳を傾けるようになり、同じ感覚だった友達もすっかり大人になり、そんな"若気の至り"を維持している事がちょっと恥ずかしいかも…とか思うようになっていた自分がいたような気がします。
もっと言えば
自分の様な社会的立場で、何も確立出来ていないのに個性だけは立派に主張している事を虚しく感じていたのかも知れません。
維持が面倒だったのもあるかも知れませんが。
好きなモノを主張する事に疲れていたのかも知れません。
しかし腹部の手術を終え、目が覚めた時に「まだ生きていて良いんだ」と強く思った事から
決して諦めていた訳ではありませんが、その事が僕にとっては究極の2択の中で望んでいた方を選べた瞬間で、まるでババ抜きの一番最後の瞬間から解放された感覚でした。
それからは好きな事だけをして生きていこうと思うようになり、まずは一番のストレスである誰かの目を気にして"個性"を隠し、大衆に紛れようとする事を自分の概念から外しました。
それは"若気の至り"なんかではなく持って生まれたセンスであり、自分のセンスなのでダサいと思った瞬間にブラッシュアップしていけば良いだけの話で、人の目を気にして個性を自ら断ち切る必要はないと言う判断に至りました。
この事が今の僕のモチベーションを支える、毎日が充実している根本的な理由であるのです。
日々落ち込んだり自分を責めたり…
なんか毎日そんな事ばっかりだなぁと思っている人は僕だけじゃないはずです。
ただそれって人と比べた時にそうなっていませんか?
見た目だけではなく、考え方や喋り方、人への振る舞い方も同じで、自ら勝手に作り上げた平均値に自分を置こうとしてませんか?
まず人格において平均という考え方が洗脳でそもそも同じ人なんて居ないんですよね。
頭ではわかっていても心のどこかで多数派に居なければいけないと思い込んでいて。
うまく生きるというのは世間に合わせる事ではなく、あくまでも主体は自分自身で、他をどれだけ受け入れられるかであると思うのです。
「あなたは一人じゃない」って慰めて頂く事ありますが、個性は一つしかないんですよ。
ちょっと話が違うかな。
だからさ、今回の内容はポジティブな人には全く関係ない話で申し訳ないですが
一緒に頑張っていこうよ。これでも食べて。