AZZURRO婆リーナ -203ページ目

治療前月経8月(記

8/16月経開始

市販薬のイブプロフェン朝×2錠
夕方×2錠
翌17日深夜2時×2錠

薬を服む前は・・・うーん耐えれば耐えられる痛み。
だけど、、、、
じっとしてたり横になっているわけもいかず
やらなければならないことがあるから服むしかないという感じ

規定量で鎮痛する。

月経量は普通。

Author:AZZURRO

岩盤浴であたたまる。

患部が痛むのとちょっと時間ができたので
近隣の天然温泉と岩盤浴、手揉みのマッサージをしてきました。

一時間天然温泉で体をあたためて、石の湯へ。

岩盤浴は火山活動で熱せられた残温のある岩の上へ寝転がり体を温めるもので、
温泉施設などに設けられた人工的な岩盤浴は
温泉母岩やトルマリン、深成岩など40度程度に熱して敷き詰め、その上にマットを敷いて寝転がり
遠赤外線とマイナスイオン効果が重なって体の内から外から大量の汗をかく、、、といった仕組み。

20分ほどの入浴で、それこそ手のひらから足の裏からものすごく汗をかく。
老廃物もサヨナラーーーーーーで、湯上がりはお肌が本当にすべすべになりました(*^,^*)

水分をとって岩盤浴に入り、私は患部をあたためるために仰向けではなくうつぶせで
お腹と痛みの強い左側を温めるように体勢ぐずぐずになって入ってきました(;^_^

強い塩分(海水や自己の汗)に顕著なアレルギー(発疹)があるので、
サウナにはあまり入らない自分ですが岩盤浴は直接患部が温まるし、ということで
20分じっくりあたためた後は急いで風呂へ戻り、ぬるい真水を浴びました。。。

もう一度温泉でのんびりしたら、今度はマッサージへ。
手揉みの30分コースをやってきました。
症状が強くなって一番凝っているのは腰回りなのだけど、マッサージの手圧で患部を押されるのは
よろしくないと思い、肩回りと足をお願いしました。

本来無口でやられるのでしょうけど・・・
「肩、、、、、凝ってますよねぇ('.';」と言われました。
腰とお腹回りをよけて揉んでもらったけど、それでもとても気持ちいい・・・(*^_^*)
30分後には完全に脱力して湯へ戻りました。

ぐずぐすの体で暗くなった外湯に入りましたが気持ちよかった~~~~~(^o^)

岩盤浴、婦人病も軽減されるというし、通いたい~~~~・・・
問題はやっぱり・・・先立つもの・・・だなぁ(;_;)

MRIやってきました。

行ってきました、MRI。
骨盤と子宮、卵巣
所要時間は装置の中へ入って約15分程度
何だか前回よりあっという間・・・

MRI

お腹に巻かれたバンドと重りが患部にじわじわ刺激して冷や汗が。
もともと臀部が高いのと肉付きで、ただの仰向けは腰が宙に浮いてしまいきついこときついこと。

まあ閉所恐怖症でもないので、検査はお腹と腰の痛みで嫌な汗をかいたくらいで
落ち着いて臨めました。

技師さんは病状などを口にすることは許されていないので何も。
結果は一週間後・・・

費用は三割負担で、六千円ちょっと。

Author:AZZURRO

明日MRI。

肥大の著しい左卵巣に鈍痛。
これはいつものこと、まもなく月経

明日13日の午後にMRI。

きっと私と性格や生活は正反対、でもすごく元気をもらえる友人の誘いで
九月から可能な限りウォーキングをしてみることになった(;^^
目的地に着いたら1時間~泳いだりクールダウンしたりで、可能ならまた歩く。
太陽のような彼女のぐいぐい引っ張る言葉に牽引された。
動いてみようと思う。
私は「有言実行」と「時は金なり」が座右の銘なので必ず実行に移すつもり(笑)
便乗者募集してます(笑)
逆に諦めと挫折も好物なのでここは友人にしっかり見張っててもらうとしよう。

Author:AZZURRO

人は決して独りにあらず。

いつかどこかに記録しておきたいと思っていたことがあるのでちょっとここへ書き留めてみようと思う。
小説かドラマのような話のようだけど本当のこと。

私が友人の乳がん闘病をサポートし始めた頃から遅れること数ヶ月、
長男のオカン仲間から「実は友人の闘病をしていて・・・」と聞いた。確か今年の二月だったと思う。
私の友人のことは全く話さなかったのだけど、オカン仲間のご友人のことは
少々・・・というかあり得ないような状況になっていたため、彼女のガス抜きを兼ねて実は聞いていた。

四十代半ば、炎症性の乳がん。
父はなく、母は重度のアルツハイマー、弟は神経科へ入院が長く、離婚した夫には新しい家族がある。
子どもはおらず、働きながら母と弟の面倒をみていた。
炎症性乳がんであることの自覚症状がありながら、何年もその人は黙っていた。
医者にもみせず、正確には診せられる状況になかった。金銭的な問題で。
オカン仲間にSOSが入ったのは歩行ができなくなった時点。
手遅れであることはその方も知っていて、オカン仲間も知ることとなる。
疎遠だった親類は母を施設に送り、通帳類や衣類がまだ賃貸の自宅にあるというのに
業者を入れ、チリひとつ残さず処分させた。
思い出も何もかも。
親類の言葉は「だって娘さんは助からない、って聞きましたから」
血まみれのパジャマを洗い続け、壮絶な最期を看取ったオカン仲間は
こんなことがあっていいのか、と泣きながら荼毘に付したそうだ。

私はこの話を聞いたとき勿論、ありえない、あってはならない話だと驚愕しましたが
もうひとつ
これは私がいい、悪いをジャッジするのでもなんでもなく
その彼女の選んだ人を頼らず、そして頼れず
何とか自力で行けるところまで行き解決したかった毎日がどんなに苦しかったか
頼ろうとしなかったためにこういう結末になったとしても
最後まで貫き通そうとしたその精神に敬服したのです。
苦しかったと思う。泣きたかっただろうし泣いただろうし
でもきっと彼女にとってそれしかなかった。出来なかったんだと思うんです。

そして自分。友人もいて、家族もいる。幸い健康で、食べていけている。
自分の治療が不安なくらいでへこたれていてはいけないよね。
頼ることが苦手な自分も、素直に頼らないといけないよね。
きっと友人や家族は私が申し訳ない、と思うことも許さないほどあたたかく強烈で
エネルギーをくれるのだと思う。

ここでオカン仲間の友人のご冥福をお祈りするとともに
人は一人で生きているのではない、と自分へ言い聞かせるために。

Author:AZZURRO