インド アンティークカフスボタン
こんにちは。
みなさん、『もの』を選ぶ時、買ったのち、今までに
買い求めてきたもの、または受け継いだもの・・・
それら『もの』をどのように持っていますか?
少し前の話になるのですが、昨年末、以前より
訪れたかった、東京の日本民藝館
へ行ってきました。
その際に手にした民藝運動の創始者、柳宗悦氏が
昭和22年3月の『工藝』に所載していた文章を
再販した一冊、『ものの持ち方』という本の中で、
『 ものの持ち方に、あるいは用い方に三つの階梯が
あると思われる。 第一は、ものの良し悪しを知らない
ため、醜いものまで用いてしまう。つまり選択をしないし、
またそれが出来ないのである。
第二は、ものの良し悪しを知っているので、美しいものを
用いようとする。だからいつも取捨を行うことを忘れない。
第三は、ものの良し悪しを問わないままで、自ずから
美しいものが用いられる。ここでは既に分別も要が
なくなっているのである。 』
柳宗悦著『ものの持ち方』より抜粋
・・・という文章があります。
ものの“良し悪し”ということの標準については
千差万別で、難しい問題ではありますが、柳宗悦氏は
「民藝」こそが美の本質であると定義しました。
「民藝」=「民衆的工藝」 という言葉の指すものは、
一般の民衆が日常使う用器。生活に必要な衣服、
道具や家具、食器など。“実用品”であること。
もしかしたら、現代で日常的なもの実用的なものとなると
寂しい事に、大量生産された“簡単なもの”となっているの
かも知れません。本来守っていかなければならない
手作りのもの、伝統工芸品などが“特別なもの”と
なってしまい、今昔逆転してしまっているのでしょうか?
『もの』を選ぶ眼というのは、持って生まれたもの
だけではなく、先ず、興味を持つことだったり、そして見聞
を広め、手にすることで養われていく部分が多いはず。
『もの』が溢れかえる現代だからこそ、
何を選び手にするか、それをどのように持つのか、どう
残してゆくのか・・・ということを考え、
取得できるようになりたいと思う。
