更紗 | anetaka-blog

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LIVING GALLERY 姉小路高倉-ANETAKA-発信のブログ。
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更紗


以前、プロヴァンスプリントの源流は
インド更紗だということを書きました。 ” 染と織の国インド ” と
言われるように、各国の染織品のルーツを探っていくと
インドに辿り着きます。 更紗のイメージの強いインドネシアや、日本の
ろうけつ染の技術にしても、インドとの古くからの交流の中、
影響を受けて伝わっていたり、貿易が始まったのが
きっかけに、各地へ広がっていきました。 
色彩豊かでオリエンタルな綿の布に、当時の人々は魅了されたそうです。

今回のプロヴァンス企画の為、入手したプロヴァンスプリント生地を見て
初め、イント更紗との繋がりを感じなかったのは、
模倣しながらもヨーロッパ人好みに変えられてきた過程が
あるからでしょうね。 ペイズリー模様にしても、
やはりヨーロッパのイメージを強くもっていましたが、基はざくろや松笠を
モチーフとした、インド生まれの植物模様なんです。

プロヴァンスプリントの歴史について辿ると、
15世紀にインド航路の発見以来、ヨーロッパでの東洋貿易が盛んとなり、
インドに渡ったポルトガル商人によってインド更紗が伝わりました。
 16世紀、インド更紗はヨーロッパで人気になり主要な国際商品となりました。 
17世紀に入ると、東インド会社によって、ヨーロッパ人好みのものが
現地生産され、インド原産の木綿の布に染められた更紗は、
人々を魅了し流行。 そしてインド更紗の模倣がされ、
それに自然をモチーフとした、南フランス的なエッセンスが加わって
” プロヴァンス文様 ” なる独自のプリント生地が生まれたそうです。

どうしてプロヴァンス地方で作られる様になったのかは、
質の良いプリント生地を生産するには、きれいな水が大量にある
プロヴァンスの恵まれた土地にあるようです。
プリントする木版については、元々トランプを印刷する
技術が応用されたそうですよ。

日本も江戸時代にはインド更紗が入ってきていて、大名や粋な人達は
こぞって目新しい更紗を買い求め、お茶の仕覆や
棗を入れる袋物などに用いていた様です。
日本でも独自の模様をインドに発注し作っていた様で、扇模様の
古い更紗もあって、風俗にあった模様を求めていたのがわかります。
気候風土や文化の違いによって、それぞれの特徴があり、
同じ国の中でも、土地や民族の違いによってまた違う。
ルーツを辿って行けばいくほど枝分かれが多く、本当に奥が深いです。