新型コロナ禍の中、首相交代、野党の新党が結成、色々と動いている。

 

しかし、与党自民党の、期待がうなぎ登りで、野党の期待はウナギ下がり?な感じである。

 

以前から、国民と立憲がくっついただけなら、何も国民が期待しないと有識者、コメンテーター、個人の肌感覚でも

思えた。

 

何か、強い、国民に刺さる大義。

 

全くなかった、ましてや、志なかばで、去る首相に対しての人権無視の発言など、政党の意義も問われる

国会議員の発言が多かった。

 

自分も、色々な環境に移った、転職でもそうだし、引っ越しでもそうだし、海外駐在、海外留学もそうだった。

 

環境での影響なのだろうか?

 

国会議員も、いくら優秀な大学を出ても、官僚(霞が関)→国会議員(永田町)では、何も環境の変化をしていない。

 

進む、コースの違いだけで、価値観の違いなどを感じる事がないのだろう。

 

中には、政党の色があるが、数年いれば、同じ考えになるだろう。

 

維新でもそうである。維新の国会議員も、他の野党議員との違い見えてこない。

大阪での、活動が指示を支えてるだけである。

 

動こうとしない?なぜなのか?

 

やはり、環境なんだろうと、自分も全く同じである。飛行機には乗りまくり、海外には滞在しまくっていたが今は、全くである。

 

環境であり、バイアスがかかり、慣れてしまい習慣としてしまう弱さ。

 

それは、出自でなく、環境がそうさせている。権威も、学会のように自分らの身内で権威づけをしている。

左翼も、権威化させるプロセスが存在して、お仲間重視であり、プロセスも人の「検閲」が入り、差別区別をしている。

 

その現実が、ある、国会議員の発言になっている。

 

更に、深刻なのは差別区別を非難している、「人」を重視すると言っている政党が、「人」の検閲をして区別して差別を生み出している

事に全く、理解していない輩も存在している。

 

色々と、問題なのだろう。構造的問題の一つとして、「東京一極集中」が「人治」を生みだしている仮説が立証されつつある。

 

さてさて、「法治」が「人治」になってきている、色々な為政者の矛盾、見ているだけであほらしく、諦めを感じる自分がいる。