【大陸の歴史 15】中華民国(大国によるパイ分け集合体) | しま爺の平成夜話+野草生活日記

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さて、なんと表現してよいか難しい時代になった。
清は日清戦争で日本に負けても、しばらくは清と名乗る国はあり、やがて敵だった日本が満州国を作り、傀儡政権とは言われていたが、満州国を作ってラストエンペラーとなった帝らを家族扱いした。

が、今の中国と呼ばれる地域の大半は、パイのように切り分けられた。


マレーやシンガポールを中心に、清王朝転覆を画策していた孫文らが、1911年革命を起こし、ついに清は翌年消えた(辛亥革命)。

ここに長かった辮髪時代は終わったが、パイの切り身状態はあまり変わらず、名前は中華民国にはなったが、事実上植民地、特に大都市は租界という名の治外法権が続いた。


上海中心部(大半が租界地であり、中国人民は土地に入ることさえ制限された)
私が初めて中国の地を踏んだ1980年代前半も、まだ名残租界があり、租界地の中心的建物には、共産党幹部と外国人以外は入れなかった。
ホテルにはいかつい守衛がいて、あまりにも寒かったので友人の綿入り人民服を着て自分のホテルに入ろうとしたら止められ、一悶着あったことがある。

エスカレーターなど、1000万大都市にひとつ。
乗るのに金を取られた。


また、華人、華僑、その他外国人という区別が明確で、華人が泊まれたホテルにははっきりと人別料金表があった。
かつ、一般店で外国人は食料やらタバコは配給券無しでは形式上買えなかった。
(ただし、外国人が持っていた外券は事実上オールマイティだったが)


話が飛んだ。
中華民国は、形は独立したが、実際は、パイの切り身状態が続いた。

ここに日本が入って行ったが、今では日本が『中国』を侵略したとなった。

確か、社会党と公明党の各トップが毛沢東にそれを切り出した時『謝ることはない。日本のおかげで独立できた』と言ったとされる。

大新聞は、報道しない。


なお、お年寄りでも勘違いしている方々がいたが、中華民国と今ある中華人民共和国は、名前は似ているが、全く別、敵同士である。

中華人民共和国の紅軍は、南京で多数の中華民国人を殺害したが、今のマスコミは何故か報道しない。