【貧乏な贅沢話】記憶にやっと残る時代 | しま爺の平成夜話+野草生活日記

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ふあるブロガーさんが、ポポウの話をされていた。

まだ実家が藁葺き屋根だった頃、庭には2本のポポウの木があり、私が主に収穫係をしていた。
ポポウを知らない方もいるだろうから、簡単に説明しよう。

ポポウとは、マンゴーに似た実がなり味も似た果物である。


ただ、マンゴーほどは美味しくはない。
バナナとパイナップルを混ぜて、砂糖を加えたような味だった。

我が家は田舎の貧しい家だったから、野菜を買った記憶は無い。
果物も、デラウェアやミカン以外は、夏にスイカを買った記憶があるだけだ。

バナナのような高級品は、中学か高校まで買った記憶がない。


ただし、野菜は常に採れたて、キノコは一時栽培もしていたから、生でも食べられた。

リンゴはアメリカシロヒトリに食い荒らされるまでは数本の木があり、スモモ(バタンキョ)は、種類の違う木があり、柿や栗は、鳥の餌になった。

クルミむき・焼きは、小学生まで私の仕事だった。

野山には、稀にしかなかったがブンブクチャガマ(日本のブルーベリー)が生え、


今では自然薯と言われる、茶碗を逆さにしても落ちない山芋が採れた。

まあ、考え方によっては、オーガニックベジタブルとナチュラルフルーツには恵まれていた。


海外に出て仕方なく食べたジャガイモを口にするまで、自ら芋やら栗は食べなかった。

魚もそうかな。
ドジョウは嫌になるほど田んぼで採れたから、見るのも嫌になった。
近所にいた釣り師が、釣ったけど食べないと、よく鯉を持って来てくれた。

中年になるまで、柳川だの鯉コクだのは、やはり頼んだ記憶はない。
やはり、飽き飽きしていた。



でも、今思うに贅沢な食べ物だったと思う。

田舎でも最近は、中国からの輸入物が主流になったが、チタケは地元では松茸クラスの値段だ。
確かに、最近は冠婚葬祭の時しか口にできない。


かつては、二時間あれば籠いっぱい採れた。

ホウキタケは山奥にしかなか無く、似た物も多かったが、田舎者なら割と簡単に判別できた。

美味いキノコでもう一度食べたいが、今や見ることさえない。



貧しくも、今では贅沢な食生活だった。