【浅間山荘事件】その5 | しま爺の平成夜話+野草生活日記

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時間は前後するが、足のある【オバケ】に関する記憶を書いていこう。

新入社員になってしばらく経った頃。
田舎へ帰る電車の中だった。
オバケには慣れてきたが、あまりにもうるさい。

こっちからオバケに近づいた。

そのオバケは新入りだったのだろう。
ターゲットが対面に座ったから慌て出す。
世間にはまだ広まっていないパソコンみたいものを抱えて、耳には補聴器のようなものを付けたオバケが震え、明らかに冷や汗をかき出した。

早期退職直前にはっきり知ったが、巨大企業では何人かのオバケを雇っている。

新入社員になってすぐオバケについて予想を語ったら、退職前の親父に珍しく驚かれた。
『俺など最近分かったことた』と。








ある日、会社のクラブで那須に出かけた。
会社の保養山荘は、御用邸の近くだった。
なんと、昭和天皇がいらっしゃっている。

会社から、私がいるかどうかの電話が入る。
話を盗み聞きしたところによれば、赤旗を振った一団が会社周りに来たらしい。
私を探しているようでもあった。

電話の主は、家も奥さんも知っている先輩だ。  

還暦近くなって思い出したが、893にも一人で立ち向かい目に青丹作ったサルマンが、寡黙になり水ばかり飲んでいた時の、あのヒッピー風情の主ではなかったろうか。
まだ、御存命のはず。
もし会うことがあれば確認したい。

そういえば、着いた浜は、後に世界中に流された彼の直属の部下の実家近くだった。

普段は仙台からの帰省には使わない常磐線を使った際、たまたま同じクラス同じゼミの友だちと隣席になり、周りのおじさん連中から冷やかされたことがある。
小学校からの妹のような幼なじみに会う為に乗ったのに、おじさん連中には『よう、新婚さん』などと言われた。