明るいシンガポールの笑い赤鬼とは対照的で、当時会長の親戚で副経理(あちらの副社長)でさえ叱られると涙目になるくらい怖かった。
が、この方も私の何人目かの親父である。
仕事は厳しかった。
が、フォローアップも抜群だった。
約1年の【刑期】を終え、日本に戻る時に偶然ファーストクラスに搭乗させられたのも、実は青鬼さまの隠れた愛情だったと信じている。
一番記憶に残るのは、上海の夜だ。
泊まっていたのは、悪名高かった和平飯店本店。
青鬼先生が、かの巨大カンパニーの誰かなどとやって来る予定が入る。
すぐに部屋の予約をする。
が、北京だか青島だかの予定がずれ、キャンセルする。
そんなことが、2、3度続く。
なにせ相手は、和平飯店の受付だ。
私の信用が全く無くなる。
で、急に夕方やって来た。
部屋は、一部屋しかとれなかった。
そこから地獄が始まる。
青鬼先生は巨大カンパニーの方の顔に泥を塗ったことになる。
フロアで公然と叱られた。
見かねた巨大カンパニーの方が月100万円程度のアパートへと青鬼先生や鞄持ちと、去って行く。
まあ、私は躰の震えがしばらく止まらない。
が、今思うに、あれは巨大カンパニーさんを前にした勧進帳だったのである。
青鬼がひどく心配していたと、鞄持ちの少し先輩から電話が入る。
青菜に塩だった私は、なんとか寝ることが出来た。
後日、シンガポールかバンコクから出張した際に、生まれて唯一の競馬VIPルームで遊ばせてくれたのも、青鬼先生である。