午後2時46分
聞いたことのない音が鳴り響いた。
その音とともに、携帯やスマホが異様な動きをする。
それとほぼ同時に、体験したことのない揺れが議事堂を襲った。
図民党からは、一時停戦の提案があった。
北からの献金追求に逃げ場を失っていた太宰には、まさに神の救いの地震だった。
野党になった図民党からは、議事打ち切りにして地震対策に専念するようにとの提案があっが、時の首相である太宰は無視して、本会議場にいた。
太宰が地下の地震対策室に入ったのは、なんと1時間後である。
先に対策室に入っていた太野は、何度呼び出しても通じない太宰を探し続けた。
この1時間の空白を知る者はいない。
1時間後、太宰の所在が分かる。
なんと、5階のトイレであった。
一部の者は、満面の笑みを浮かべて、だらしなく涎を垂らしていた太宰を見た者がいたという
が、真偽は定かではない。
いずれにせよ、首相弾劾の話は消えた。
ゾルゲ以来となる、官邸と夕日新聞を結んだ疑獄事件は、こうして消えていった。