そんな話題で盛り上がった時期がある。
今日は白人だの黒人だのといった話が出たので、過去記事とダブルが人類について考えてみよう。
結論から言えば、白人だの黒人だのは外見的な差別あるいは区別であり、環境で変化してしまう、中身無視の前近代的科学である。
ただし、生化学を理解できない年代が頭にいるから、義務教育教科書に染色体レベルの話が載るようになるには、後少し時間がかかりそうだ。
インド人の話に戻ろう。
ご存知のように、人類はアフリカ東部、今のエチオピアからタンザニアあたりで生まれ世界中に広まった。
生化学ができたばかりの頃は、比較的微量でも分割可能なミトコンドリアが話題になった。
また、近くに住むボノボという類人猿が注目されたことがある。
最近Y染色体の解析もごく微量で可能になり、染色体遺伝子レベルでの区分けができるようになってきた。
ミトコンドリアは女性のみに遺伝子し、Y染色体は男性にしか無いから、男女の系統がかなり分かるようになったのだ。
ただし、分かることと知らせることは別である。
例えば、世田谷一家猟奇殺人事件犯人は、母方には南欧あたりの人、父は半島系の確率が高いと分かっていても、ひょっとしたら名前まで分かっていても、マスコミは公表しないこともあるだろう。
また、話が飛んだ。
インド人は、インド・ヨーロッパ語族と言われるように、基本的には西洋人である。
Y染色体を変異別に、非常に粗くは20くらいに分けられ、源に近い方からA.B.C…などと分けられる。
この中でインド人(北部)や西洋人は、Rグループの人の割合が非常に多い。

サンスクリット語(梵語)や古典ラテン語を斜め覗き見しただけで、非常に似た言語であることがわかる。