【大胆妄想風土記】冬至によせて | しま爺の平成夜話+野草生活日記

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冬至である。


クリスマスというのは、メソポタミアかシリアあたりの地母神を祝い、新たに生まれる太陽を拝む行事を、義の教師と言われるクムランの指導者の弟子たちが真似て広めたものだと思っている。

キリストとはユダの枝である義の教師のイエスかヨゼフが、またマリアはモーゼの姉のミリアムあたりをモチーフにしたのかも知れない。


時代が時代なら、こんなことを書いたら、私は明日まで命がないだろう。

いい世の中だ。

いや、場所によっては今でも危ない。

日本では、シリアの地母神のことやクムランの義の教師のことは、少なくとも義務教育では教えていないだろう。


カボチャのお化け祭りであるハロウィンが、ケルトの蕪祭りを真似たように、クリスマスもシリアあたりの地母神祭りのコピーだろう。


神道の多くの神や祭典も、メソポタミアやエジプトに酷似している。

もちろんこれは、民族とは関係がない。
聖徳太子のスポンサーである、太秦の秦氏あたりが広めたと思われる。

日本人は、多くの祭りなど風習や民族を受け入れてしまう。

これは今でも日本人の3割から4割、沖縄などでは過半数が持っている、旧日本人たるアイヌの血がなせる業に違いない。

つまり、Y染色体 ハプログループD1bの力だろう。



漢人やら、純粋な半島人には、この血はない。




ああ、書いちまった。
こうしたことが教科書に載るのは、時を待たねばならない。


あと何十年必要なのやら。
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