旧家からネズミの運動会をする貧乏家に嫁いだ母は、かつては美少女だったらしく公爵だか伯爵の婚礼に呼ばれ、ダンス相手を頼まれたことがあるらしい。
最後まで、ボロは着ていても侍の娘だった。
母の葬儀前、会社の旅行で沖縄を訪ねた。
この時国際通りの奥にある塩専門店であじわった塩は、≪塩断ち≫の意味を納得できるものだった。
勝海舟の父親が≪塩断ち≫して、息子の無事を祈願したのは、≪旨いものを我慢する≫ことを神に誓ったのだろう。
9月25日といえば、私などは懐かしい響きの≪トルコ風呂≫という表現が禁止された日でもある。
トルコについては、小沢昭一さんの歌としゃべりを思い出す。
小沢さんには、ある先生の葬儀ですぐ近くに座って飲んでいたが、喪主や美女らとドンチャン騒ぎの私らの中、小沢さんは静かに酒を口に運ばれていた。
ちなみに亡くなった先生は、コロンビア・トップを育て小林旭にも歌を提供したマルチ人間である。
比較的最近、天皇家と徳川家を結びつけた屋敷の付属博物館で、先生の絵を見つけた。
先生は達筆過ぎて、若者には解読できない原稿だったという。
一度いただいた私へのアドバイス葉書は、芥川賞だか直木賞作家のアドバイス葉書とともに、宝である。

11PMでも有名だった先生からいただいた葉書

多分、直木賞作家からのアドバイス葉書(現・日本文藝家協会理事長)