ライオン丸は、家の近くでは遠吠えだけに終わった。
が、今年は豊作だとマンゴー味を楽しみにしていたヤマボウシは、すっかり実を落とした。あるいは、よく来る山鳥あたりが老人には毒だと、自ら食べてくれたのだろう。
心配していたミカンは、枝も折れず、実も1個たりとも落ちていない。
ほっとして、ニュースを見て驚いた。
40年前に、久慈には行ったことがある。
やませ吹くいかにも寂れた町並みだった。
ふと、トロッコを押しながら夕陽に染められたミカン畑を見る、あの作品をイメージした。
そこからは、少し南。
42年前の冬だった。
その頃はまだ、あの能力があり、今でもはっきり覚えている。
播磨山だかせんまやまだかの水車小屋の音。
ああ、そんなことを覚えていてはいけないのだろう。
だから、足元がふらつくようになってから、金星やらアンドロメダあたりに出かけてしまった。
と、泣き言でも言ってみよう。
そういえば、我がブログ次女も、あのあたりの生まれだったなあ。