1ヶ月以上前のことだ。
ある方が、
『田布施の人だから、日本人や日本を破壊していいのかな?』
ということを書かれていた。
そこで私が、
『田布施の意味を知っておられるのか?知らないなら仕方ないが、そうでないなら何度もそのような言い方をするのは差別ではないか』
というような、コメントした。
ところが、その人の感覚では、田布施という言葉を使うのは差別だと言っていると理解したらしい。
かなり昔のことになるが、当該人は『在日』と言うのは差別だと書いていた。
が、しばらくすると、なんとかは≪差別≫ではなく≪区別≫だとかいう不思議な記事があった。
私には、意味を理解できなかったが。
そして、昨夜の記事。
下手な落語より面白い。
『在日』なら差別ではない。
『在日だから●●』というのは差別だと言う。
はあ?
では、先月お書きになっていた
『田布施だから……』
は差別にはならないの?
不思議なお方である。
昔、ちゃんと国語を学べとか、あなたは朝鮮人なのかな?
とかコメントされたことがある。
確かに、私の国語力は低い。
また、調べようがない家伝では、父方の1350年くらい前には、百済系帰化民の娘を妻にした方もいる。
もし、Y遺伝子を無視し、家伝を信じるならば、ごくわずかは朝鮮人の血が入っている。
家伝が作り物ではなく、かつ、1400年くらい昔、百済帰化民の先祖がいたら、子孫は朝鮮人だというのなら。
なお、当時の百済民と今半島民となって百済地方に住んでいる方の遺伝子は、かなり違っているだろう。
『在日だから…』は差別
『田布施だから…』は差別にあらず。
なのやら。
不思議な感覚で、私には理解できない。
≪日本を壊す安倍●●≫
などという表現も、ヘイトスピーチ反対を叫ぶ方々ならしないのでは?
『田布施という都市伝説みたいもの』
とか、昨日はちゃっかり書いています。
昨年や先月あたり書いていたことと、ずいぶん雰囲気が違っていると感じるなあ。
以前の記事ですと、正しい歴史を知らないのは誰だ?みたいに受け取れ、≪田布施話≫は、事実だと思われる記事にしていたのは誰なのやら。
各所で田布施話をし、私がよくコメントすりあるブロガーさんに、全く根拠ない与太話と一蹴されていたようですがね。
まあ、『在日なので』は差別だが、『田布施だから』は差別とは思っていない方のようだから、どうでもいいのですかねえ。
デモの出で立ち論にも笑わざるを得ない記事があったが、これに関しては、メロリンさんについて書いたコメントも非公開にされた記憶がある。
毎回彼の記事を英訳して、世界に流されている、ロンドン猫婆さまも、ご苦労さま。
お二人で、仲良くしま爺のアホバカぷぷぷとでも囃しあっていてくださいまし。