イスラエルでは、長年ワグナーを演奏することはタブーだった。
それはヒトラーがワグナー好きだったからと、多くのマスコミなどは伝えている。
特にワルキューレは、毛嫌いされた傾向にある。
とあるブロガーさんがキリストについて述べられており、簡単なコメントをしたが、コメント字数が少な過ぎて誤解をよぶと思われ、改めて記事にしてみた。
日本人のほとんど、特にキリスト教の方々は、ナザレのイエスをイエス・キリストと呼ぶ。
これは実はキリスト教の方々の解釈による呼び方だ。
キリストとは、救世主を意味し、イエス・キリストというのは名前ではなく、尊称を加えた言葉だ。
日本語に直せば、キリスト観音のようなものだろう。
こうした救世主の存在は、多くの宗教に存在する。
ナザレのイエスは、もともとはユダの民であり、おそらくユダヤ教徒でもあった。
ユダヤ教の聖典には、ユダの民から救世主が現れると書かれている。
キリスト教では、ナザレのイエスこそが預言された救世主であり、キリストだとした。
このあたりは、日本では秦氏によって広められたと推測される太子教の、後に聖徳太子と呼ばれることになる厩戸の逸話にも似ていることはよく知られている。
しかし、私は別の推察をした。
この推察は私が考えたものではなく、イスラエル学者であり、小説家でもあり、なんと言っても私が感化されたのは、近寄り難いほどの美人の方が書いた小説による。
寒気がするほどの美人ということもあり、珍しく外国小説を読んだ。
その中に、20世紀までその存在が知られなかった義の教師という男が出てくる。
文書は死海付近のクムラン洞窟などで見つかったため、死海文書として知られている。
このあたりは興味深い。
ワグナーがイスラエルで忌避されていた理由も、ヒトラーが好きだったからと決めつけもあるだろう。
が、ワグナーが題材とした北欧神話とユダヤ教の見方の差異にも注目してよいと思う、