【他人様記事】思い出したこと | しま爺の平成夜話+野草生活日記

しま爺の平成夜話+野草生活日記

世間を少しばかり斜めから見てしまうしま爺さんの短編小説や随筆集などなど
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私はど田舎生まれ育ちながら、先生方には非常に恵まれていた。


そう感じたのは、海外戦闘員を辞めて塾講師になったときだった。

高校の時の社会関係の先生は日教組あたりの幹部で、校長より権勢があると陰口をたたかれていた。
ほとんど学習らしいことをしなかった方だが、試験などに関しては変な評価はしない人だった。
その方から学習したことは全く忘れている(多分授業らしいことは皆無)が、くしゃみの大きさと高校生と授業中遊んでくれ、肩が凝らなかったことは覚えている。
今ならば、即教師失格と新聞沙汰だろう。


そんな変わった記憶に残る先生はいたが、明らかに変だ!と思える先生は知らなかった。


が、塾講師になり、初めて腸が煮えくりかえりそうな教師の存在を知る。


塾講師約10年の間に、記憶に残る生徒は何人かいる。

数学で記憶に残るのは、そのうち2人だ。

1人は人間的にも素晴らしく、当時中学生の彼にはとても心の大きさでかなわないなとおもった。


模試成績も、ぶっちぎりの全国トップを何度か取っている。

後に彼は、大学3年で司法試験に合格し、やはり全国有数の頭脳であることを証明した。
今はかなりの地位にいて、多くを救っていることだろう。


もう1人は、数学力が私レベルでは、とても相手にならぬ、ずば抜けた頭を持っていた。

が!
学校の成績は、5段階の2!

唖然とした。

当時の試験考査では、神奈川などのような内申書偏重県では、彼の能力に見合う公立には行けない。
それは、比較的内申書を重視しない他県でも大差ない。

結局彼は、県内私立に進まざるを得なかった。


英語が上手すぎて、先生からイジメを受けていた子もいる。
帰国子女の彼女の発音は上手すぎて、中学の英語の先生にとってはエイリアン言葉だった。
彼女は学校ではジャングリッシュを通し、塾でやっと英語を安心して話せた。
後に彼女は、ICUに合格・入学している。



ここからは、ほとんど刑事事件柄みだ。

小さな可愛い子がいた。
頭がよく成績も良かった子だが、急に成績が落ちてくる。
その子のお母さんが、面談でうちあけてくれたことがある。
娘が急にスカートを履かなくなったと。
なんとその原因が、担任にあるらしい。

田舎でも、先生と生徒が車の中で運動していたとか、先生同士がただならぬ関係だとかの噂はあった。

が、相手は小学生。
しかも、親にも言えぬ悩みの中へ落とす。
そんな先生が世の中にいるのか?!と、幼稚で世間知らずだった私は怒りに震えた。

数年後、駅で「先生!」とひまわり笑顔の美少女に声をかけられた。
背丈が急に伸びたが、あの頃のオチャメさが浮かんでいる。
チクショウ、こんなに綺麗になりやがって!
素直に大きくなった嬉しさとともに、そんな感情も湧いてきた。


もっとひどいこともあり、塾全体で警備するようなこともあったが、今回その話はよしておこう。