【妄想狂論文】日本のこころ 13 衣服 明日からはひと休み | しま爺の平成夜話+野草生活日記

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日本人の清潔好きは、明治維新前後に日本にきた欧米人の日記に詳しい。

それは風呂好きで体を清潔に保っているだけでなく、衣装も驚かせている。

多くの場合、日本人は湯から上がると寝間着・浴衣などに着替える。もちろん、食うや食わずの家、飢饉などの時は例外だが。

しかも、それらは白いサラシだけではない。 富のある者の衣装には刺繍があったり、貧しい家でも白一色ということは少ない。

田舎の庶民はいざ知らず。
都の貴族、いや庶民でさえ、平安頃にはいくつかの色が混ざった服を着ている。
倭人の衣装については梁の通信使を描いたものが有名だが、その絵は実際に見た倭人ではなく、聞いて描いたものらしいことが分かっている。
一部隣国の人たちは、それを例に倭人の貧相さをわらったりもしている。

が、絵を見れば明らかなように、描かれた人物はアラブ人かウイグル人などであり、倭人とはとても思えない出で立ちである。

だいたい隣国では、染織技術さえ長らくなく、日本が併合した頃でさえ、王族のごく一部を除いて王の妻でさえ、白装束の気ましの衣装しかなかった。
最近よく見るあちらのドラマは、全くの空想夢物語である。
庶民や勺婦が王族以上の服をきていたり、胸出し衣装の女が一切出てこない。
二階屋の飲み屋があったりする。

もう喜劇の世界だ。

時代考証などほとんど見られない。

いつでも夢は大切だろうが、あれを歴史の一部と思ってしまうかも知れない。

『鳴梁』に拍手するのは結構だが、あれを事実として見てしまい、国一番の英雄とする銅像まで建ててしまうあたりが、ひどく痛く悲しい。

銅像作者が日本で学んだ芸術家で、腰にさしているのは日本刀だと知っているのやら。







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