【香港の記憶】中国返還19年だとか+ダッカ事件 | しま爺の平成夜話+野草生活日記

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香港には、ビザ更新の為の数日の滞在を含めても、10回くらいしか行ったことがない。

そんな香港バージンに近い私が香港を語るのはおこがましいだろうが、香港の個人的印象を述べ、さらには中国共産党一党独裁の今についても考えたいと思う。


昔の香港のイメージ。
南米や中東のことを全く知らなかった私には、世界一怖い街だった。
マンガではあるが、ゴルゴ13でさえ冷や汗をかく場所だったし、確かに警官も入れない場所があった。
同時に当時の空港は、パイロットが最も恐れる立地にあり、乗客の私なども無事離着陸するごとに拍手を贈りたい場所でもあった。

10年くらい前、久しぶりに香港に行かせてもらい驚いた。
空港は、昔とは比較しようがないほど安全な場所に移っていた。
タクシーも、変な覚悟をせずに半島中心まで乗れる。
友人がパンツ以外すべて剥ぎ取られた街は、少しだけでも城壁がなくなり、パンパンという音がよく聞かれる地域でもなくなっていた。

近くのシンセンは、ほとんど香港になって、独特の活気を呈していた。

日系人が大量に捕まえられたホテルの風呂屋は、相変わらず怪しい空気がただよい、クラブには自称西大后ゆかりの子女もいたりして、面白い場所に変わってはいたが。

それでも、新入社員とボスの所得が1万倍以上あったりすることは、奇妙ではなかった。
日本では数百億の資産家といったら、大金持ちになるのだろうが、あちらの大金持ちは桁が1つか2つ違う。

それは、一応平等らしい大陸でも同じだ。

毛沢東の上海別荘とも言われる館は、本社役員が嫌がるほどの殺風景な部屋と監視があったし、林ピョウの愛人館に至っては、東京博物館なみの巨大さだった。

ホテルのボーイと仲良くなり、 一度だけ高階級のパーティを覗いたことがある。
まさに別世界だった。

あんな世界を持ち合わせ、平等だの人権とかよく言うよ。
そう思ったものだし、今でもそう思っている。

あれだけ人がいたら、気に入らない奴は殺す、となるのだろうか。


いくら日本共産党は中国共産党とは違うと言われても、今でも生きている綱領を明らかにせず、党トップが自主投票できない、立候補などはもちろんできない現実は、無視できないし、賛同などとてもできない。
選挙の為にだけ手を結んだ民進の議員さん。
自滅願望でもあるのやら。
政策が真逆に近い野党。
政策などだせるわけがない。
選挙演説などを聞くと、自党方針に固まっており、連合としての方針演説などない。
いや、出せるはずがない。







★バングラデシュ

この名前を聞くと、かつてのダッカ事件を思い出す。
ピョンヤン、クアラルンプール、テルアビブと並んで 奴らの名前が世界中で怖がられた事件だ。
当時バングラデシュは内部反乱もあり、空港では何が起こってもおかしくない時だった。
この時かクアラルンプールるだったかは忘れたが、自分の命を投げ出した大臣。
ピョンヤンの石田機長同様時の人・英雄となったが、機長同様悲惨な後日談がつく。

マスコミも、少しは考慮して欲しいものだ。

石原慎太郎氏が駆け出しだった頃の青い嵐を呼ぶ兄貴分に2号さんがおり、実質書類上の妻とは長年住んでさえいなかったが、当時のマスコミがそれを活字にしたりしないくらいの大人の配慮はあった。
今のマスコミは……。