【日本文化】敵も死して神となる | しま爺の平成夜話+野草生活日記

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これはよく言われることだが、日本文化はかなり特殊だ。


例えば敵も神になる。


その代表は、大国主だろうか。

あるいはスサノオであり、諏訪神であり、大三輪神であり、讃岐院だろうか。


日露戦争でも多くのロシア兵を助け、いまだに交流がある四国の収容所やトルコ兵を助けた紀州など、日本では海外の多くの国では考えられないことをしてきた。


海外では明のように、敵はほとんど全滅させたり、韓国軍のようにまったく無害な老人少女までなぶり殺しにしたりする。



楠木や新田、名和あたりも、本来なら抹殺されるべき相手かも知れない。

が、日本では死者に敵も味方もない。

死者は神になるのである。



敵ながらあっぱれ。

こうした感覚は、なかなか海外では理解しにくい。



そういえば、神田明神も反朝廷の代表だった。


紀家などは、1000年たって許されたりしたが。





こうした感覚は、日本特有のものだろう。



お隣ではラストエンペラーを祀ったりしたら、一家生命の危機の陥る可能性もある。




ただし、日本でも嘘を流したずるい奴は神にはならないだろう。