1か月ぶりだろうか。
さて、セリ摘みの準備でもするか?
という事態ではない。やらなければならないことが目白押し。
セリが倖田來未Nになろうが、残念だねで終わるが、今やり残していることは123年は問題になる。
だから、ケーキ造りなど趣味に遊んでいる場合ではないのだ。
そうはわかってはいる。
が、・・・・・。まっ、いいかとなっている私だ。
あっちに行ったら、親父に叱られそうである。
関係ないが、朝見たら聞いたことがあるところからペタがついていた。
地元では知らんぷりをする方がほとんどだが、私にとっては代々の誉れである京都のおじさんより尊敬している方の所のすぐ近く、道路を挟んで30mくらいしかないところからだ。
父の葬儀の後に、野良猫ばあさんが最近亡くなったとの話が出たが、それを話した天台宗権大僧正の話についていけたのは、どうも私だけであった気がする。
親戚の叔父叔母連中さえ、ああ、あの野良猫の神様ですねと言う私を不思議な目で見ていた。
本当に知らないのか、知らないふりをしているのかはわからないが、その理由は察しが付く。
わたしがまだこの世の生きていられるのは、その方の旦那のお力のせいかな?
と三十路過ぎから考えるようになった。
その方にお会いできたのは、すでに亡くなった、私の心のなかでは第二の父くらいである。
考えすぎでしょうかねえ。