入院当初は三途の川散歩に出かけていたので、あまり記憶がない。
しかし、数日して腹と頭の調が正常に近づいてくると、時間を持て余すことになった。
これは、患者には酷なことである。
頭に飛び交うものは、食い物しかない。
いやいや、私のように副腎皮質ホルモンなどを大量投入されているされている若者の場合は、無駄に大きくなる下の山脈の処理も可哀そうだ。
隣のベッドの若者がそうだった。
で、こうした時間の悩みを解決するために、私はブログ読みに多くの時間を割いた。
本来は頭を休めるために、これは推奨できないが、食い物妄想で腐っているになるよりは良い。
とブログを読み始めたが、まあ頭に来ることが多い。
青年の主張どころか、幼稚園の優等生レベルの考えを堂々と打ち出す御仁もいる。
自分の庭がきれいなら、自分ちのごみを他人の庭に捨てても、相変わらずクリーンだとかいっている政治家さえいる。
国民を数千万人単位で殺すことには無言だが、1人でも凶悪韓さえ死刑判決執行は赦せないと書く。
自分が他人を差別するのは、差別ではなくカテゴリーだという。
だから、馬鹿丸出し画像を貼った場合でも問題ないらしい。
いや、還暦過ぎジジイが、ランドセルに自慢気にアホプロパガンダともいえないポスターを貼って自慢する。
あわれな方がいるものだと、感心さえしてしまう。
コメントの公開非公開は自分の権利だから、嫌いなものは表示しない。
そう言っておきながら、一部ブロガーさんのコメントは拒否しますと自分で明言しているのに、よく公開してなぶりものにする。
批判コメントに、常識的な表現ができない。
もし拒否しているなら、何度も公開したりはしないはずだが、そこは常人では理解できない心理が働いているのだろう。
名誉棄損だと怒るのに、他人にしている赤ちゃんレベルの罵倒言葉に気づかない。
そんなことが、ここのところ目についた。
しかし、体調が悪い、頭がふらふらするのも安倍さんのせいにしたりする。
本気でそう言っているなら、重症ですな。
と、こういう記事を書くとネトウヨが金をもらって俺のブログを閉じさせようと画策しているとかいった奇想天外、自意識過剰反応するのは大笑いである。