戦前にこの格好で、自転車も2台見える。
やはり母は、お嬢様だったらしい。
この家は、私も記憶にある。
左端が今や長老となった、親族のトップ。
私の気持ちの上での、第3の親父だ。
この家は代々芸術家を大切にしていた。
世界的に著名なドイツ人作家も、一時期世話をしたりている。
彼はのちに、内閣総理大臣賞も得ている作家だ。
海外からの客は多くいたが、Aテレビにも案内役で出た文革優等生は、なかなかのものだった。
この家に着くなり、資本主義の悪さを周りに大声で触れ回っていた様子。
お世話になっている家をののしるのは、いかにも文革を生き抜いた同年だ。
ただし、この人は律義な面もあり、今でも親戚さえ忘れている本人の誕生日に挨拶の手紙が来るらしい。
この人とは、私も上海で会っている。
旦那から、名前を呼ばれたことは一生なかったらしい。
今なら、セクハラと騒がれるだろうか。
その母が、実家の半分どころか、3割くらいしかない、敷地は戦前の1%くらいしかない父の家に嫁いだ。
この家は、私が小学5年生まであった麦藁屋根の、ネズミのサーキット場的な家、
母の実家の大広間に毛が生えた程度。
まあ、母には驚くことばかりだったろう。
左側には、楽しい小話が作れそうな顔もいくつかある。
ネトウヨ爺と呼びたい方々には、たいへん喜ばれそうだが。
★徹夜で田舎に行ったせいで、人間らいい時間に寝起きできるようになった。
が、実はこうなるといささか困ってしまう自分がいる。
田舎の今朝はー10℃。
さぶーーー、