【実録】『俺の空』 | しま爺の平成夜話+野草生活日記

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世間を少しばかり斜めから見てしまうしま爺さんの短編小説や随筆集などなど
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★予告したように、今回は大学から離れて、純白キタキツネの話である。


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仙山線から、山形で奥羽本線に乗り換え上山で下りた。


私たちは、ほとんど初めて会うメンバーだった。

上山に着く頃にはとっぷりと日が暮れている。


引率のおじさんが、宿脇の温泉に案内した。

爺さんが上っ張りを脱ぐと、かつては目を光らせていたであろう昇竜が目に入ってきた。


ぎゃっ。めちゃくちゃいい金額だと思ったら、やばい仕事ではないか、これから1週間はタコ部屋だと思った。周りも同じことわ考えていた。


宿の戻ると、学生生活では見たこともないような珍味が並べられている。

皆、目を丸くしながら、それらを口に運ぶ。


学生時代は、朝飯など食わなかったし、食えなかった。

が、朝から豪勢な造りだ。


不安を胸に、マイクロバスに乗る。

今だといろいろ五月蠅そうだが、仕事はめちゃくちゃきついというものではなかった。


高所恐怖症の人にはつらかったろうが。


たいした労働もしないのに、夜はぐっすり眠れた。


1週間ののち、私は学生としてはかなりの金を持っていた、


20日間の北海道旅行と電車代くらいは大丈夫そうだった。



こうして、生まれて初めて北海道に渡ることになる。


当時は知床旅情の全盛期で、どこに行ってもすぐ友達ができた。


函館・五稜郭を見学し、札幌にたどり着く。

北大の寮には、高校時代のクラスメイトが2人いて、そこに泊めてもらった。



富良野を経由して、十勝・釧路へと移動。

釧路には友人と同じアパートの実家があって、車で迎えに来てくれていた。

湿原を経て温根沼、つまり雌阿寒湖畔で野宿する。

途中友人は、すらりとしたお姉さんコンビをピックアップして、摩周あたりで何事もなく分かれた。

以降主な場所だけ記すと

知床斜里・宇登呂→網走→原生花園


北海道には、高額バイトを教えてくれた友人との旅だったが、網走で別れて旭川で再開することになった。

ここから稚内は遠かった。

いまだと4時間くらい行けるようだが、40年前は気分的に1日取られた。


稚内からフェリーで礼文に渡る。

礼文は、小学生ごろから行きたいところだった。

エーデルワイスに近いというレブンウスユキソウはじめ、特殊な植生をしている島であることを知っていたからだ。



後で知ったが、ここで出会った二人組は本宮ひろしの『俺の空』に出てくる、北海道で出会った二人組にそっくりであった。

そのあとの行動は、大きく違ってはいたが、わずか数日一緒にいただけなのに、はるか昔からの知り合いのようになった。


今は亡き、道内屈指の銀行に勤めていたお嬢さんたちだ、


結局何もなかった。

が、別れるときには、私は成人後に出した涙の大半をそこで使った。

フェリーの中で涙が途切れることはなかった。

人間は、こんなに涙が出るんだなと、泣きながら思った。

川端作品の、伊豆の踊子とダブった。


あるブロガーさんにコメントしたが、私の欠点は女の子をすぐに好きになってしまうことである。

更にまずいことに、なかなか忘れない。

これは、いいようで結構ややこしいことなのだ。


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Kちゃんが、この写真を見て珍しく気分を害したのを覚えている。

その点は、ユリさんは大人でした。
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別れの朝

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あっつ、まちがった。

この写真はKK。


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みんな、私の女神たちである。

今もなお・・・・・・・