≪電源を切らないでください。ウィンドウズ10の更新を開始します≫
スイッチを入れると、 そんな文字が出てきた。
{何を寝ぼけたことを。オラはウィンドウズ10のような欠陥だらけの更新などしないぞ}
と、心の中で叫んだ。
1分の長考の後、昔やったように復元しようとの結論に達した。
が、
いくら探してもバックアップデータが見つからない。
で、次男を呼んだ。
アメブロとYouTubeが反乱を起こした。これを鎮めたら、権大掃除を認めてやろう。
と、次男がこう言った。
だから親父は網蚋と言われてしまうんだ。
すぐダメだと諦めたんだろう?
む、む、むっ。
読まれている。
まずい。また、一本とられた。
いい、少しは考えてよ。 とか言いながら、これは重症だなとブツブツやりながら、なにやら設定確認している。
親父、USBあるかと言う。
ほれ、ここに!
私は得意気に渡した。
けっ!たった8ギガ。ダメだこりゃ。
せめて、テラ単位にしてよ。
とかほざく。
バカ言うな。四十九日はまだ先、寺に行くまで待っていられるか!と答えた。
全く単純で困る。
オセロ麺だなあ、とか言った。
オセロ麺なら、私も知っている。
物質は粒子で構成されており、物の動きはオセロの如く白か黒かで決まるという、ニュートン力学という古典物理学信仰者への揶揄だ。
私たちの時代は、原子の周りを電子が回っているような絵があった。
そのような、せいぜい基礎物理学を学ぶために利用される、模型的な科学だ。
今でも、物理学の入門ではボーア半径だのという説明で便宜的に使われている。 もちろん、量子論を学ぶと、こうしたことは全て否定されるが。
古典物理学であるニュートン力学を発展させると、バチンコの玉の行方だけではなく、人生さえ決まってしまう。
が、量子論を信ずれば、この理論は成り立たなくなるだろう。
アインシュタインのような古い考え方をする人には、なかなか納得するのは難しいだろうが。
かつては、ブラックホールは光さえ閉じ込め、そこから抜け出せる物はないと考えるのが当然だった。
これも、車椅子の学者によって否定された。
あの理論は感激した。
私の場合も、物事を多面体に見ろとか、すぐ諦めるなとか言っておきながら、口と手の動きが反対だ。
次男は、そのあたりを言いたかったのだろう。
成績は驚くほど悪いが、受験勉強もせずになにやら作曲やら、プレゼンに熱を上げ、休みにはどっかでバンド演奏などもしているようだ。
あとちょっと、机に向かえ!という言葉を飲み込んだ。
私も3年2学期までは、第一希望は芸大で、絵描きと夜歩きを趣味としていた。
亡き親父が、なぜ勉強せいと言わなかったのか、少しずつ分かりはじめている。
親父の奥義は、葉隠れだった。
時々、祖母の口を介して1番にはなるな!ときつく言われていた。
そう言いながら、親父は特進を2回して、二十歳には教鞭を取っていた。
同期は、皆2年歳上である。
だから、同期はほとんど土の中だった。
息子たちは、私よりも成績は遥かに悪いが、生活能力は桁違いに上かも知れない。
まあ、成績なんかで能力は計れない。
おそらく、親父もそう考えていたのだろう。