朝から昼まで、5時間は寝たぞい。
これなら、今夜は生きられる。
さて、今更なんだ?と言うことをぼやいてみよう。
フランスのテロは悲惨であった。
先進国と言われるところの殆どのメディアが、大きく取り上げている。
しかしながら、同じ人間の命だが、今年のインドやパキスタンの熱波、あるいは地震による数百人~数千人の犠牲者にはほとんど触れないし、中米の洪水の犠牲者など伝えているメディアのが少ない。
こうしたことはよくある。
お隣の何万、何十万人、いやなん千万人と言う虐殺には目をつぶるが、日本国内でデモでけがをしたと言うだけで大ニュースとなったりする。
不思議な感覚だ。同じ人間の命なんですがねえ。
これは仕方がないと言えば仕方がない。
はるか遠くで天災や虐殺があったことなどより、自分の子どもが事故に遭ったことの方が重大だ。
気持ちは分かる。
それにしても、世界で毎日何万人がテロや天災・病気・飢餓で亡くなっているのやら。
今回のギリシャ地震でもやはり犠牲者が出ているようだが、それを伝える日本のメディアは僅少だ。
インドなどの天災犠牲者など、まず伝えない。
ナイジェリアでも、昨日はテロの犠牲者が何十人と出たようだが、日本では多くのメディアは沈黙している。
こうしたことは昔からあったのだろう。
だから、本当は日本に逃げてきたのに日本に無理やり連れてこられたとか、親や兄弟から売られたのに日本軍から慰安婦を強制されたとかいう話が、”事実”になってしまったりする。
困ったものだ。
いくつかのケースでは、嘘が事実となって歩いている。
またそれを吹聴する輩もいる。自分の知っていることしか認めない。
哀れな考えだが、意外とそういう奇人もいたりする。
困ったと言うかなんというか。
アメリカの一部研究では、ある民族は9割方”火病”という風土病にかかる可能性があると言う。
それがDNAなど遺伝的なものか、環境によるものかは知らない。
でも、そうしたことがあると言うことは、知っておいたほうが良い。
その国のことではないが、食事などに文句を言うことが自分を高める行為だと考えている人もいる。
日々の食に感謝するという、多くの日本人とは感覚がまるで違うこともよくあるのだ。
本貫等にこだわると、人を人と思わなくなったりすることが推測できる。
それがあって当たり前と生まれた時から当然の様に生きてくると、それが無くなることは考えられないのだろう。あちらの歴史を少しかじってみて、なぜ今どき本貫のような差別を法的にも認めているかが、少しわかってきた気がする。
これも、哀れな過去が関係するが、どうしようもないことだ。
でも、それを無かったものとして嘘世界を想像することは、私は反対である。