【つれづれ】源氏物語絵巻 他 | しま爺の平成夜話+野草生活日記

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源氏物語絵巻のこの部分が話題らしい。

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光源氏が、不義の子と分かっていて形式上の”我が子”を抱くシーンである。

その下絵には、物語とは無関係な親子の下書きがあったと言うことでニュースになっていた。



私はこの絵には特に興味はない。

が、相当昔から染色技術が発達していたことは分かる。




韓国のテレビファンタジーは、面白い。


が、残念ながら歴史とは大きく異なる。


たとえば衣服だ。

最近になってチマチョゴリは豪華絢爛となり、戦後描かれた絵や放送されるドラマではほとんど時代考証をしていない。ちょうど昔の水戸黄門ドラマ並なのだ。

水戸黄門は、江戸と下野、鎌倉を除けば、ほとんど水戸藩にこもりっきりだった。

全国行脚などは、『水戸黄門漫遊記』なる小説だ。

が、今でさえ、田舎の老人たちは水戸黄門の全国行脚を信じていたりする。

笑ってはいけないが、事実を知ったらがっかりするだろう。


これと同じようなことが、お隣にも言える。

『鳴梁』のような〉¥全く事実と異なる映画を事実として観てしまう韓国人や韓国ファンも多いのだろう。


韓国の前身である李朝時代には、自国では染色技術がなかった。

だから、王や王族でさえこんな風体だった(柄物は清などからの婦女子とも交換か下賜)。




さらに、基本平民や人間扱いされない人たちはへたすると裸同然であり、高級官僚でさえ白装束しか着ることができなかった。


さらに、日本人が教えるまでは車輪や桶さえ作れなかったと言われている。




韓国の一部報道は否定しているが、当時の婦人が胸出しすることは、ある意味誇りであり、けして恥ずべきことではなかった。


この風習は、戦後もしばらく続いていたという地域もあるようだ。実際戦後の絵画には、胸だしルックの女性が描かれていたりする。




こうした風習は、消して恥ずべきことではない。

西欧でも時々あった気がする。


しかし、それを無いものとしたり、当時は無かった豪華絢爛な衣服を着た人々を事実のごとくドラマにしてしまうのは、見る方にとっては楽しいが、視聴者が事実と思っていまう危険性もある。



朴クネ大統領の父親は、自国の歴史に嘆息し、消し去ってしまいたいと言っている。

娘は、その思いを政治に生かしているのかも知れない。




日本人出でさえ、韓国ファンタジーを事実として観てしまっている人がいるかも知れない。




ハングルを厳しく取り締まったのは、日本人ではなく李王朝である。違反者は死刑になったりした。


日本人はむしろ、ハングルの普及に努め朝鮮人が文字を書けたり読めるようにした。




このあたりを無視している、一部報道。

困ったものである。




日本人の一部は、朝鮮で悪いことをしたかもしれない。

しかし私の知る限りでは、世界有数の差別を撤廃し、人身売買を取り締まったりしたことは、かなり評価できることも多いと思う。


でも、マゾヒストの人たちは、それを認めようとはしない。

アフリカ植民地とならぶ世界最貧国。

それが少しばかり裕福になると、過去を忘れたいようだ。




まあ、独立経験がない国の悲劇ではあるが。




そうそう、百済観音と呼ばれている像。

これが百済の物だと言う証拠は、全くありません。

明治か大正になって、百済観音と命名されただけです。

形からすると、竺や安南など南洋由来の気がします。