【平和を愛する党と関係が深いある事件】おぞましさ | しま爺の平成夜話+野草生活日記

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平成生まれの人や、昭和末期生まれの人は知らないかもしれない。


何とか組組長が、俺たちよりひどいことをすると嘆いた事件。



★Wikipediaより


誘拐の経緯は、バイト 帰りの女子高生の自転車を少年Cが蹴り、少年Aが親切な素振りで近づき、「お前はヤクザに狙われている」「俺が助けてやる」と言い、ホテルに連れ込んで女子高校生強姦 し、事件の現場となった家の自宅2階の居室に監禁した。少女を帰そうとせず、輪姦性器 にビン・マッチ・タバコなどの異物挿入、裸踊りや自慰 行為の強要、タバコを2本一度に吸わせる、シンナー を吸わせたりした。少女は少年らの隙をついて警察に通報したのだが少年Aに見つかり阻止され、その腹いせに足にライターのオイルをかけて火で何度もあぶるという暴力行為をし、彼女の焼け焦げた足の腐臭を疎ましく思い強姦の対象から暴力へと変貌し、1m以上上から鉄棒を腹に落とす、トイレにも行かせず飲料用紙コップに排尿させその尿を飲ませる、1.6kgの鉄球付き棒で大腿部を数十回にわたって殴打したり、被害者の脇腹部、脚部などを多数回にわたって手拳で殴打し、全身が血だらけになり目の位置がわからなくなるほど顔を膨れ上がるほどの殴る蹴るなどの行為を繰り返し、少年Bが「なんだお前でっけえ顔になったな」と笑う、真冬の時にベランダに裸で放置、顔面に をたらす、などの苛烈な行為を41日間にわたり行った。


女子高生を監禁していた家の両親は女子高生の存在を認知しており、一度1階で一緒に食事を摂ったりした。その折、女子高生に「早く帰りなさい」と促し、一時は家を出たのだが、加害者の少年の一人が連れ戻したので、結局監禁は続いて行われた。


1989年(昭和64年)1月4日、「ギャンブルに負けた」という理由で、自力では立てなくなりほとんど動けなくなった被害者を2時間にわたって殴る蹴る、足をライターオイルで焼く、鉄の棒で殴るなどのリンチを加え放置し、その結果被害者は死亡した。翌日、被害者の死亡に気づき死体の処理に困った加害者たちは、遺体を毛布で包み旅行バックの中に入れドラム缶 に入れてコンクリート 詰めにして、東京都 江東区 若洲の埋め立て地(現在の若洲海浜公園 敷地内)に遺棄した。






今の若い人たちは、こういうおぞましい事件があったことさえ知らずに、愛と平和の党を信じているのだろう。

いや、その党は機関紙で、自分の党の党員ではあるが、事件と党との関係はまったくないと書いていたようだ。


だから、その党とこの事件を結びつけてしまう私はネトウヨとかいう存在なのだろうな。


しっかし、何度思い出しても、この事件を知った時の戦慄は覚えている。


サカキバラにも驚いたが、まず最初の衝撃はこっちだった。