(せつめい)
南京にスイカ畑があります。
ここには最初、20万個のスイカがありました。
兵隊さんが南京畑に入った1ヶ月後には、スイカが25万個になっていました。
(もんだい)
兵隊さんが、スイカ割りに使ったスイカの数を答えなさい。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ご父兄の方へ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
★参考資料や他の人の解答例です。
村山くん・・・・・・・30万個です!
松井くん・・・・・・・ほとんど0です。むしろ、他からやって来たので増えています。
ベイツくん・・・・・数個盗んだという話は聞いたことがあります。が、見てはいません。
全体的に、兵隊さんは規律を良く守っていましたから、なん万とか壊したりしません。
国連めいくん・・・南京畑のもと地主の被害話を無視しており、あり得ないという立場でした。
メリケンくん・・・・畑に入る前に聞いていた噂とは全く違い、兵隊さんは約束をしっかり守っていました。
住民の信頼を得ているようです。
地元民1・・・・・・・来てくれて嬉しかったです。
チャーハンを作って歓迎しました。
地元民2・・・・・日本兵が来たと言うので、安心して南京に戻りました。
地元民3・・・・食料を買ってくれました。
盗まれるのが当たり前だったので、お金をもらって感激しました。
地元民4・・・・日本兵を見て嬉しくて涙が出ました。
やっと、平和になるのだなと。
兵隊さん日記・・・地元民の拍手や万歳で迎えられました。
ここに入って、銃撃や砲弾の音のしない、平和な日が続きました。
ひね爺の昔の知り合いあちらの人
・・・・日本兵は、ナラーク(かわいい)だったですよ。
2等兵なのに司令官なみに万年筆で日記を書き、流暢な日本語だが句読点の基本ができておらず、福島の田舎から出てきたばかりなのに方言が1点(イとエの混同)しか無く、足元さえ見えない真っ暗闇の時でも、戦闘中の時でも、腹痛に体を動かすことが困難な時でも、インク瓶のインクが凍るよな凍える夜でも、毎日ほとんど同じ字数の記述をしていた兵士の日記。
(インク瓶がよく壊れなかったものだ)
・・・背中から切り付けると、土人の深紅の液体が寒々しい師走の月光に照らされ・・・・
・・・嗚呼、如何せん。
・・・秋虫の音は支那の地にても物悲しき。
(夏目さん並のすばらしい文章。アサヒ本多さんの知り合いらしき)
1949年4月23日(戦後4年)
共産軍(人民解放軍)は南京に進軍し、中華民国人数万人を殺害。
さらに砲撃を加えて、投降をせまった。