よくお邪魔しているブロガーさんが、731部隊や南京事件に関して、問題を提起した漢人について書かれていた。
731部隊や南京事件のように、共産党おかかえ作家が作った小説は、その裏にアメリカの支援があったことはほぼ確実と思われる。
が、共産党絶対主義の元では、これを口にすることはタブーだったろう。
言ったら、翌日は息をしていなかったかもしれない。
いや現在でさえ、この漢人が来年もブログを続けていられるか不安だ。
日本のように、安倍さんの写真を黒縁に入れて喜んでいるようなお子ちゃまブロガーが、無事でいられる世界はそれほど多くはない。
ある国では即公開銃殺だろうし、ある国では25年くらいの懲役だ。
日本は、このあたりが甘すぎるから、どうしようもない犯罪者をかばうような輩も出てくる。
殺人犯の人権を言うならば、罪無く殺された人間の人権はどうなのだ?
私には、こうした考えの方々の頭を多少理解はできても、とても納得はできない。
私には娘はいない。
しかし、もし娘がいて強姦され殺されたら、その犯人を私自身が殺すやもしれない。
間違っても、殺人犯人の環境だのに考慮して、その人間の人権を考えたりはしないだろう。
死刑はけしてよい制度ではなかろう。
だったら、南極か熱帯雨林の中に、終身刑刑務所を作るべきだろう。
コンクリート殺人だのの犯人には、全く情状酌量の余地がない。
わたしは、そう考える。
しかしながら、宗教がらみ、党絡み、団体絡みなどで、不思議な結果になったような場合も見うけられる。
また、精神的に問題があるならば、そうした犯罪を犯した精神を病んだ人間を世間に放り、また新たなる犯罪を犯しすリスク、再犯の場合の処置も考えるべきだ。
そうしないと、無垢の善人は殺され損で終わってしまう。
あまりにも、理不尽である。
私はそう思う。
しかしながら、世の中には、殺された人間や家族のことは考えずに、殺した犯人の人権ばかり主張する変人もいる。
いや、変人ではなく、人権家らしい。
そんな、アホな。
自分の娘が強姦殺人にあっても、その犯人を弁護しますかね。
できる人は、立派な人なのでしょうか。
私には、むしろ人間らしからぬ恐い人間に思えてしまいます。
漢人の反日に関する反省など