世の中には不思議な考えをする人がいるから、そういう場合は相手にしないのがいいと言うのは分かっている。
それでも、不思議なことをそのまま置いておくのをどうにも我慢できない赤ちゃんである私は、ついつい記事にしてしまう。
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★ふしぎ理論一覧
1;死刑には絶対反対だ。しかし、自分と意見が違う者を処刑することは良いことらしい。
つまり、犯罪者の死刑には反対だが、意見が違う相手に対する積極的殺人は問題ないらしい。
また、激情に駆られての殺人にも寛容のようだ。
2;人を差別してはいけない。しかし、だれそれは日本人じゃないとか、某村出身だということは、まったく問題なく、そういう意見の違う相手に関しては根拠ない捏造記事を書いても問題ないらしい。
私などには、こっちの方がひどい差別に思える。
まあ、私も見え見えの大嘘をついて、それを指摘されたら居直るような相手は差別していますが。
というか、差別反対主義者の大半、博愛主義者のほぼ全員に、本人の意識の有無にかかわらず、深い差別意識を感じています。
これは、西洋の博愛主義者などにより顕著ですがね。
日本人の多くには、そこまでの差別意識は少ない気がします。
ただし、一部の半島系の方々の場合、生まれた時からの教育や風習の影響が強いと考えられ、こうした方々の一部には、本人が意識しない強い差別意識や劣等感を裏返しにした優越感が宿っていることがあるのではないかな?と考えたりもしています。
3;人をラベル貼りすることはいけないという。しかしながら、事実を指摘した相手に対して、自分の無知識・無教養・嘘を棚上げして、相手をネトウヨとか具体的企業名を挙げて、それらをラベル貼りすることは問題ないらしい。
この理論は、私には理解できない。
4;問題点を指摘したり質問した相手に関して、それには答えず、意見が違う相手にはこたえる必要がないなどと言ってしまう。
これは私には逃げに見える。
つまり、理論的に答える力がないために、ネトウヨなどといった呪文を唱えて逃げているだけだろう。
相手は具体的な質問をしてきていた。
が、当該人は他人様のブログでのやり取りは失礼。考え方が違う相手にはこたえる必要なしに似た対応。
これは、あるブロガーさんのところの記事を昨日見て感じた。
5;根拠ある批判ならいいですよ。
しかし、根拠不明。あるいはインターネットで流れている類のインチキ論や、自称研究者の資料不明の妄想記事を事実として流してしまう方々。
中学生までなら、いやいや少し甘めで二十歳くらいまでなら、そんなことも許されるだろう。
でもね。
三十路過ぎて、妄想記事を【事実】やら【ほとんど知られていない事実】とかいったことを言うのは、非常に問題あると思いますよ。
ただ、これは私の考え。
世の中には、嘘は当然ながら、殺人さえ肯定する方々もいることは知っているつもりです。
激情殺人を肯定する方は少なくても、嘘を平気でつき間違いを指摘されたら逆切れする方は、アメブロなどの中にも、確かに意外と多くいらっしゃいます。
ちょっと驚きですが。