【雑感】ある反島記事を読んで | しま爺の平成夜話+野草生活日記

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一応、わたしとは全く方向が逆ということになっているであろう風呂家さんがいらっしゃる。

ご専門は、戦争反対デモッキーの自衛隊大好き兵器オタクかな?

いや、現実重視の夢見る巫女さんのお友達かな?なんぞと勝手に決めつけてはいるが。


で、その方が、沖縄戦の記事を書いていらした。

ぬぐえぬ腐臭、コピにまとわりつくハエの軍隊などだ。



で、思い出した。

水木なんとかという方。

ゲゲゲッっていうあたりだ。



と同時に、日本に帰ってきたばかりのころ、つまり賞金稼ぎをしていた時代のことを思い出した。


その時に、ある業界では水木先生以上に、ははーっとなるらしい方と出会う機会があった。


私の2倍以上お年をめされた方だったが、ベレー帽をかぶった、実にダンディーな方で、同世代の中ではおそらく常に一番後ろの席にいたであろうお相撲さんだった。


後日知ったが、少し詳しい文化史ならば名前が載るような方で、非常に多彩な方だった。

言われれば、夜中11時15分から始まる必須授業で見たことがあった気もする。




このお方から私は、東のバカ横綱を拝命する光栄に預かったことがある。

これは、私の数少ない自慢話だ。






先日のことだ。

電車で数駅先のところに、いささか敷居が高い公園がある。

徳川ケーキや明治お菓子とかに似た名前の、かなり美味しそうな方々にも近い公園だ。



そこには博物館があって、ケーキさん絡みや、明治さんからショーワ絡みの写真や資料が展示してある。


その中に、あれっ!というものを見た。




そう、かの先生の作品が展示されていたのだ。


それは、南の島の絵であった。


水木先生のそれは妖怪の世界だったが、尊敬するその先生の作品は、当時は土人と呼ばれていたミクロネシアあたりの人との交流や、兵士同士の泣き笑いを絵にしたものだった。



うまい下手は見方によるだろうが、味のある作品だ。

これは以前、別のオリジナルを見せていただいたことがある。


そんなことを思い出した。






戦争のとらえ方は人それぞれであるし、伝え方も人それぞれである。





そうそう、その方の辞世の句がこれだ。

これは葬儀場の入り口に飾ってあった。

ハーモニカの小沢さんの先輩でもあった。





★先生の辞世の句


・・・・・・・・・・(これはジョークではありません。その業界では有名な話です)






確かこの方の息子さんのてがけたものは、ギネスブックに載っていました。

今は知りません。