「閣下、私たちにも戦わせてください」
村長が言った。
「バカもーん。貴様らのごとき土人に、神国日本の兵など任せられるか!ぶつぶつ寝言など言わずに、さっさと船に乗れ」
大尉は顔を赤らめながら言いました。
村長の目からは涙が溢れ出ています。
ああ、あれほど私たちに親切にしてくれた日本人。しかし、うわべだけで結局白人と同じだったのか。
村長は村人をなだめながら、船に乗り込みました。
村人たちも、うなだれ、また半分落胆した目で兵士たちを眺めています。
ボーッ、ボーッ。
大きな汽笛がなりました。
と、どうしたことでしょう。
浜辺にたくさんの日本兵が出てきて、大きく手を振っているではありませんか。
中には、泣いているのが遠目にも分かる若い兵士もいます。
そこで村長は分かったのです。
大尉は、敢えて冷たい態度で自分たちを島からおいやったのだなと。本当は、村人たちのことを考えて、わざと冷たくしたのだなと。
2ヶ月強が過ぎました。
ペリリュウ島にいた日本兵は、34名とわずかな捕虜を除いて、1万人以上が死んでしまいました。
しかし、村人は1人さえなくなっていません。
それからというもの、ペリリュウ島の村人たちは、日本兵が戦い自分たちを救ってくれたことに感謝し、神社にお参りし、子どもたちに昔の日本兵の優しさを語り継ぐようになったのです。
ペリリュウ島の村人の戦死がなかったことは、キスカ島脱出での戦死者がなかったことと同じく、第二次世界大戦の奇跡と言ってよいでしょう。
戦争賛美はいけません。
しかし、こうした話を消し去ってしまうことは、よりいけません。
日本兵は悪者と決めつける方々は、こうした話を知らないか理解できないのでしょうね。
半島や大陸で、いかに日本兵が頼られていたかも知らず、逆の捏造話を流すマスコミや団体に圧されて事実が歪曲され、それを何も考えずに信じています。
いわば、日本兵悪魔説を信じる信徒です。
なかには、日本兵の中にも白馬事件を起こしたような者もわずかにいたでしょう。
しかし、大半の日本兵はそうではなかったことは、いろんな資料から分かるではないですか。
一部マスコミや一部国の捏造をのぞけは。
今ある日本の繁栄は、こうした誇り高き先人があらばこそ。
戦争非難はたいへん結構。
しかし、こうした先人をおとしめる方々は、ひどく貧しい心の持ち主なのだろうと思ってしまいます。
そういう意味では、大変哀れな方々です。
今自分があるのは、そうした方々があったからだという考えにさえなれないのですから。