【仮想旅行】記憶の地へ | しま爺の平成夜話+野草生活日記

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今回の仮想旅行は、まずはしばらく住んでいた場所。


シンガポール。

なんとリークアンユー国神様のすぐ隣。

画像右側の森が、首相官邸。

旧正月だったと思いますが庭が開放されるので、2回くらい散歩させていただいた記憶があります。

先輩は、自分で運転していつでも入れたようです。

運転手付きではなく、自分で運転して入れる人は世界広しと言えどもまずいなかったようです。


日本でいえば銀座にあたるオーチャードまででも、歩いて10分。


でも、一時アッシー君をしていた関係で、そんな近くでも車で行っていましたが。

24時くらいまで喧嘩腰で働き、3時まで飲んで4時に家に着き、アッシー君して6時には起きる。

良く続いたなあ。今だと、1日でダウンだろう。

実にいいところでした。

日本では考えられない広さの部屋でしたからが、値段もなかなかのもの。

とはいえ、訳あり物件のため同クラスの物件の3割くらいだったでしょうか。

隣に住んでいたインド人のおばちゃから、部屋に入れろとずいぶんせがまれたことがあります。

クーラーをかけると火事になるのではと思うくらいコンセントが熱くなったりしましたが、とりあえず無事に過ごせた場所です。


まだ、建っているのに驚きました。

日本では建築許可が下りないであろう高層建築。おそらく震度5で倒壊します。






こちらはバンコク。

日本人が多いスクンビット。

名前は隠しましたが、近くの人なら分かってしまうかな。

ここも、先輩が高いからと敬遠したらしい物件でしたが、たまたま訳あり物件がありかなり安く入れたところです。

私の住んでいた訳あり部屋はともかく、今じゃとても住めないような素晴らしい環境の家でした。

拳銃を持った警備員が細かいチェックをし、訳ありお友達が気を使ってしまうところではありましたが。






こちらは住んでいたところではありません。

日本人にはなじみの深いタニヤ。

昔とずいぶん変わってしまいました。

でも、いかにも日本人町であることは同じです。










一方こちらは、すぐ隣のパッポン。

夜になると、いかにも東南アジアの繁華街といった妖しい雰囲気になりますが、昼間は別空間。

開いている店が見当たりません。

人もまばらです。


私がいた頃は、ここは非常に怖かったです。

タニヤは、日本のそれなりの方々がしきっていたらしく非常に安全でした。

が、ここは田舎からやって来た現地人のドライバーでさえ、間違ってこの道に入ってしまった時は顔が青ざめ、ハンドルを持つ手が震えていました。


一度だけ地元の友達に連れられて夜中に行きましたが、自分だけではとてもいけない場所でした。


タニヤのすぐ隣の道ですが、夜になるとこの写真とは全く雰囲気が変わります。

今はどうか知りませんが、当時は半分命がけではないといけないような場所でした。

香港・九龍城ほどではないにしろ。

短時間でしたが、ここを見ていろいろ考えさせられることがありました。

今でも心に重く残る、悲しい光景がありました。