【仮想旅行】記憶に残るホテル | しま爺の平成夜話+野草生活日記

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最近あるブロガーさんがバリに行かれた。

いやあ、なんとも言えない海と空。

のんびりできそうなホテル。


他人事なのに、自分が行った様な気がした。


そこで私も、グーグルマップで海外旅行をしてみた。

いろんなところに行きたいが、まずは記憶に残ったホテルを訪ねてみた。

もう、20年も30年も経っているから、自分の住んでいたアパートなどは相当変わってしまったところも多いが、ホテルはあまり大きくは変わっていないようである。





ジュラ山脈の中のロッジホテル

冬の明け方はー20℃、少し山に入るとー30℃という山の中にあるホテル。

通算半年くらい住んでいたが、ホテル始まって以来の長逗留客と言うことで、ほとんど家族付き合いをさせていただき、旦那さんの要望にこたえて奥さんとデートしたりもした。

土日はホテルも休業してしまい、ホテル自体のとんでもなく重いホテル玄関のカギを預かったり、オーナーの自宅に招かれたりもした。

ダイヤモンドダストや霧氷は美しかったが、少し歩くと鼻水が凍り付き息苦しくなったりした。









ミシュラン3星レストラン付属ホテル



TGV停車駅まで歩いて数分。

国際都市ジュネーブに近いこともあり、各国の国王やら大統領などが来たことのある3星レストランに付属した1星ホテル。

格調が高く、英語は通じない。また、独特の発声をするフランス語でもあった。

ここで私は、昔食べ過ぎて苦手だったジャガイモのうまさを教えてもらった。

ここは素晴らしい環境だったが、会社が食費を削ったのでまともな食事ができなくなり、3か月後には近所の無星ホテルに移動した。

ここは山中ではないが、盆地の底のような場所で、一日中寒いところだったが、モンブランやジュネーブに行くにはいい場所ではあった。

敬虔なカトリックが多いため、ここでも土日はレストランも閉まってしまい、近所のイタリアレストランや一杯飲み屋を知るまでは、私は時々ジュネーブやアンジーまで食事に行っていた。








和平飯店

上海ジャスの発祥地として知られるホテル。

当時の上海は駐在員自殺率世界一と言われ、ここでの1か月は1年の滞在に相当すると言われた。

上海の中でも、この和平飯店や上海大厦など旧租界の建物は外とは別世界で、当時は国会議員でさえこのホテルなどには素直には入れなかった。

最近リニューアルしたようだが、エレベーターは100年前の年代もの。

1泊は、一番安いところでも現地人月給以上だった。高い部屋は年給位した。

ここに住んで、ほとんどの食べ物には文句を言わなくなった。

通算で1年暮らしたが、帰りに香港から東京への飛行機は上司が気を使ってくれたのだろう。

生まれて初めてファーストクラスに乗った。

(飛行機会社は手続きミスがあり、申し訳ありませんがファーストクラスに席をかわっていただけますか?とか言ってはいたが)

内心ほくほく。しかし、しょうがないねみたいな返事で席を変わった。






初めての長期滞在ホテル




シンガポールの名所・ニュートンサーカスまで、30℃を超える中でも歩いていける距離にあったホテル。

500mもなかったろう。

最初の出張、ならびに駐在が決まってアパートに入るまでの、計4、5か月は住んでいたホテル。

ニュートンサーカスには人気のお嬢さんがいて、実は飲み屋でも会ったこともあり、人生相談みたいことをされたこともある。

その子があべちゃんをふってしまい、あべちゃんが空港で涙ぐんでいる番組があった。

懐かしかった。今は、もう結構いいおばちゃんになっているんだろうな。


あっ。あべちゃんといっても安倍首相ではありません。

塀の中にいた小説家のあべちゃんです。






とにかく広大なホテル

ウィンブルドンに近く、ゴルフコースや乗馬コース、テニスコートなどなどがあるホテル。

面積だけなら、東京にある帝国ホテルの100倍くらいある。

なんとか伯爵だか侯爵だかの家だったホテル。


まあ、広さはすごいです。あとは言わぬが花。

静かで、ゴルフ好きにはたまらない。