谷垣さんが差別語を言ったとかでかまびすしい。
ここでも何度かつぶやいているが、私はこうした言葉狩りはどうも好かない。
差別語を含むとかいう理由で、故事成語や慣用句さえ教えられない現状は異常だと考えるからだ。
そうした一方で、従軍慰安婦のように戦後に作った言葉が平気でマスコミをにぎわす。
不思議な話だ。
平成の大合併などにも、これは関係してくる。
かつて瀧田だったところが多喜田になり、埋田が梅ヶ丘になったりする。
何度か記事にしているが、地名と言うのはそれだけで無形文化財と言うだけでなく、防災に役立つものであった。ただし、これは同時に、一部経済には不都合なものを内在している。
平成の大合併などは、こうしたものを見えなくして一部業者には都合の良いものになった可能性もある。
ただし、ごく一部の方々が主張しているような、田布施の謎などと言う日本の歴史や日本語を理解しない人たちがいたのも確かだが。いや、今でもそうした私以上の妄想家の方々はいるかも知れない。あと少し歴史や日本語を勉強しなされと言いたいが。
ところで、従軍慰安婦のような戦後の造語が一般的になったように、あるいは平等を叫ぶ方々が平気で使っている言葉の中には、私の感覚では馬鹿だちょんだと言う言葉と同等か、それ以上に差別的だなと思える言葉があったりする。
差別反対を叫びながら、よくそういうことを平気で連呼できるなと、その厚顔さに感心さえしてしまう。
たとえば、○○は人間じゃない、日本人じゃない、○○村の出だなどと言った類である。
特に、出身地などに言及するのは典型的な差別と感じるが、そうした差別反対を訴える方々には、そうではないらしい。
こうした考えの一部には、たとえば半島で重要視される本貫などという生まれを貴ぶ思想があるのだろう。あるいは、子どもの時からの教育・環境などでそうしたことが空気となってしまっているから、自分では気づかないのだろうか。
私自身は、こうした言葉には鈍感で、あまり拘泥はしない。
これは北関東と言う、部落問題などと言ったことは大学に入るまで知らなかった、差別意識の低い地域に生まれ育ったからかもしれないし、朝鮮の人たちと身近だった環境があるからかもしれない。
今では法律違反らしいが、乞食などは時々家に来て飯を食べていた。
それが当たり前だったから、とくに差別と言ったものを激しくは感じなかった。
感じさせられるようになったのは、前述したように大学に入ってからだ。
しかしながら、上述したような矛盾した主張には、ひどく不思議な感覚を覚える。
ただし、地名のむやみな変更や慣用句の使用制限などには、かなり反発を覚える。
この年になっても、不思議なことがいっぱいある。