追加画像あり【正しい歴史とやら】半島編 その3;稲作&民族など | しま爺の平成夜話+野草生活日記

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私が事実にかなり近いと考えている歴史などです。
誤りに関して、ぜひご指摘をお願いします。

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朝鮮半島における稲作は、日本の古墳時代前後(約1500年前)に、日本から伝わった可能性がほぼ100%である。

稲作が朝鮮半島経由という説を唱える人もいるが、全く根拠のない話だ。


これに関しては、
1、朝鮮半島における水稲が1500年前までなかったにも関わらず、日本では少なくとも3000年前には水稲栽培をされていたこと(陸稲は6000年から1万年前)


2、現在の朝鮮半島の水稲のDNAには、日本では主となるDNAが皆無に近いこと

などが挙げられる。


しかしながら、一時期は考古学者や歴史学者のかなりが、この非科学的稲作伝播ルートを力説しており、私と同年以上の方々や科学ではなく感情で歴史を考える場合には、いまだに稲作朝鮮半島経由説を主張する方もいる。
が、もちろんこれは、植物学者や遺伝子学者からは、非科学的で根拠のない、感情歴史あるいは捏造歴史であり、全く問題外とされている説だろう。
ただし、有力な歴史学者には朝鮮半島経由論者が多いため、こうした非科学的説が恥ずかし気もなくまかり通っているのも現実だろう。

このあたりの簡単な説明はWikipedia・稲作にあるので、概要を知りたい方は参照されたし。



ついでにいえば、かつての考古学者や歴史学者の一部には、物や文化などの多くが朝鮮半島経由としたい方々がいて、人もまた朝鮮半島経由だとしたい方々もいる。

このあたりも非科学に近い感情歴史に近い。

現在の朝鮮半島人の多くは、現在漢民族と呼ばれている民族(ただし、漢時代の主となる民族とは違っている可能性もかなりある)に近い。
また、満州などの東北民族に近いことがDNAなどから推測できる。

これも漢時代の漢民族と、現代中国と呼ばれている場所を支配している漢民族と同様、かつて百済や加羅、あるいはタンラにいた民族である朝鮮民族とは異なっている可能性が高い。

特にタンラ(現在の済州島)においては、戦後も民族を抹殺するがごとき殺戮がされており、古代の民族とは異なっている可能性が極めて高い。



以下、私くらいの年代では勘違いしていると思われるものを列挙していこう。


★李氏朝鮮王朝とは、満州民族王朝か華北北方民族王朝である。
李王家Y染色体ハプログループは、末裔の調査結果より
O3a2c1(O-M134)系統

このグループは日本では稀だが、朝鮮民族では約2割を占めている。
なお、将軍で知られる李舜臣は、本貫である徳水李氏の調査結果から、同じO3系統ではあるが、いささか異なる
O3a2c1a(O-M117)とされている。



★李氏朝鮮は高麗王朝の係累のほとんど惨殺してできたものであり、李氏朝鮮王朝と高麗王朝に、民族的連続性はない。



★最近は百済観音と呼ばれている仏像が、百済から伝わった資料や伝説などは全くない。
明治になって「百済風だね」が、いつの間に百済観音になってしまっただけである。
ちなみに、百済時代の南韓人と現在の韓国人が同族かどうかは不明である。




★現在の日本人のY染色体ハプログループ比は、現在漢民族と呼ばれている民族や現在朝鮮民族と呼ばれている民族とは大きく異なっており、少なくとも現在の漢民族や現在の朝鮮民族が日本人になった可能性は、ほとんど0%である。





★D2はアイヌ系統であり、本来の半島にはなかったもの。

別の調査では、朝鮮人D2比率は0%。




なお、戦後に関しては、こんな動画もあります。


https://www.youtube.com/watch?v=2FGtPJnyw0Q&feature=player_embedded