これは、私が事実に近いと考えている歴史です。
事実に反する内容等、ご指摘を賜れば幸いです。
朝鮮にあった国は、有史以来少なくともここ2,000年くらいは独立国家になったことがなかった。
ほぼすべての期間において、他国の一部、または属国であった。
そのため、19世紀後半になり列強がやってくると対処するすべを知らなかったと思われる。
当時は、アフリカの諸国・地域と並ぶ世界最貧国の代表であり、国民はひどい差別と貧富の差、衛生環境の悪さから、平均寿命は40歳を切るほどであった。
また、人間ではない身分を創っており、これらの人々は殺されても罪を問えなかったし、住居や名前、いや歩き方にさえ細かい規定があり、これを破ると命の保証はなかった。
一方で、一部両班には働くことを悪とする思想がはびこり、ひどい場合にはそれは食事にまで及んだ。
現在も一部に残る妓生パーティーにおける食事作法は、その名残であろう。
私も一度体験したが、あのような箸さえ他人に任せる食事はどうも好かない。
さて、このような中でアメリカやフランスの攻撃を受け、朝鮮は当時の宗主国である清に頼った。
しかしながら、清が日本に戦争で負けて分が悪いと感じたのか、今度はロシアにすり寄った。
この間、なんと王が国民を見はなして、ロシアに泣きこみ1年くらい生活をしてたりしている。
が、あまりのいい加減さにあきられたのであろう。
有名なロシアの話に、こんなのがある。
『相手にするな。どうせたいしたことは言っていない』
ロシアから冷たくされ。今度は日本に秋波を送る。
日本は朝鮮王に対し、皇族に次ぐ身分を保証してくれた。
さらに、併合に乗り気ではなかったらしい伊藤博文が暗殺されてしまう。
これで一気に併合が加速していった。
この併合に関しては、朝鮮王自ら日本に願い出ているし、国民にも下記のようなお触れを出している。
また、併合後の日本は同じ国として、年間予算2~3年分を朝鮮の為に出している。
これによって朝鮮に、上水道と下水道をわける習慣がついていき、病死者も減り寿命の延び、人口の大きな増加があった。
また、学校をそれまでの100倍くらい増やして、それまでは使用すると殺される場合もあった朝鮮人へのハングル教育などを進めた。
これにより文盲率が激減し、多くの国民が文字を読めるようになっていった。
なお、おそらくこの時代から、朝鮮人にも風呂に入るという習慣がわずかに芽生え始めていったと思われる。