【縄文海進】その11:秋田 | しま爺の平成夜話+野草生活日記

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縄文海進とは、縄文時代の一時期地球が温暖化し、海水が現在より50m位上昇していたと思われることのことです。


こうした海進は、小規模ながら古墳時代や平安後期にもあったと考えられています。




かつての海岸近くには、現在もその名残として海が近かったと推測できる地名が残っています。




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秋田は巨大な県である。


関西の方などにはあまり馴染みがないかもしれないが、大阪府や香川県の6倍以上の広さがある県だ。




この秋田県も、山形以上に内陸にまで海が広がっていた。


横手盆地はほとんどが内海だったし、北は大舘付近まで達していた。




その大舘と十和田湖の中間には、イギリスで有名な石を並べた環状遺跡などがある。


東北は、現在知られている知識では、世界一速く土器文化が育ったところと言っても過言ではない。




なまはげは、かつての原住民である日本アイヌの記憶か、シベリアあたりからの移住民の記憶が祭りとなったものかもしれない。


なまはげは、スイスなどにある祭りに出る鬼の姿に酷似する。