【トレビアの泉蛙】B級歴史ファン必見;関東自動車道 | しま爺の平成夜話+野草生活日記

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関東における縄文海進のところで、北関東自動車道の話になった。

縄文海進地図では標高50m以下は海としたが、この海岸線と北関東自動車道がほとんど同じではないかということだ。


その通りなのである。

下の地図の赤線で示したのが北関東自動車道だが、これは茨城に入って笠間を過ぎたあたりから海に向かうため標高が下がってくるが、その他の道は標高60mラインにほぼ一致する。


また、このライン上には、東大寺や法隆寺のような第一級の建物や遺跡はないが、なかなか興味深い遺跡などがある。


では、さっそく北関東自動車道を西の高崎から、東のひたちなかへと向かって見ていってみよう。






多胡碑

日本三大古碑のひとつであり、古代資料としては第一級であろう。




足利学校

日本で最初に開設された学校として知られている。



やや離れるが、岩宿までは15km程度。


なお、やや疑問が残るが原人化石の発見された葛生、別格官弊社の唐沢山神社、万葉時代から知られた三毳山、日本三大霊場、日本三大菩薩岩船山も、この街道の沿線だ。






壬生古墳群

壬生付近には、多数の国指定古墳がある。

とくに車塚古墳は掘を入れると径135mあり、円墳としては国内最大級である。

この古墳には玄室が残るが、長編伝奇小説、またその壮大さにおいて他の追随を許さない『妖星伝』は、この玄室から始まる(作者の半村良は車塚と記載していないが、私の調べた範囲ではここしかない)




なお、足利からお山にかけても、大きな前方後円墳などが散在する。

壬生付近は、道鏡が流された場所でもあるが、近くには紫式部伝説も残り鎌倉時代作と思われる紫式部五輪塔もある。

宇治拾遺でよく出てくる慈覚大師の生まれはこのあたり。

一時期反原発歌で有名になった斉藤某も、ここの生まれ。

確か、阪神淡路大震災での被災者支援で海外では有名になった、山口組の何代目かの組長さんもこのあたり。

そうそう、AKB48の大島優子も壬生と大きく関係があった。









中村八幡宮

ほとんど知る人はいないだろうが、伊達正宗で知られる伊達家の発祥地。

この八幡宮には、源頼朝など将軍家ともかかわりが深い。

ここの流鏑馬は日本有数。




鶏塚古墳

精緻な鶏はじめ、勾玉などが出土した古墳。

副葬品の多くは、東京国立博物館で見ることができる。





磯山

岩宿が発見されるまでは、日本初の石器文明のあった場所として知られていた。




高田山専修寺

親鸞の浄土真宗の本寺(本山は三重県だが、本寺は栃木県)。

親鸞はここで7年暮らしている。



二宮神社

かつてはどこの小学校でもみられた二宮金次郎像。

彼のの陣屋も、この街道に近い。




仏生寺


世界遺産となった日光東照宮をひらいた勝道の生まれたとされる仏生寺も、ほぼ街道沿い。





雨引観音

建立は用明(聖徳太子の父親)初期。

推古、聖武など幾多の天皇、皇后の信仰が篤い。

4月に行われるマダラ鬼神祭は、日本二大鬼祭のひとつ。









常陸出雲大社


出雲大社と諏訪大社を結んだ直線上にある。

大社の分社ながら、巨大な注連縄は一見の価値あり。






このようにB級とはいえ、なかなか面白いものが並んでいる北関東自動車道沿線です。