【縄文海進】その5;伊達・平泉付近 | しま爺の平成夜話+野草生活日記

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縄文海進とは、縄文時代の一時期地球が温暖化し、海水が現在より50m位上昇していたと思われることのことです。

こうした海進は、小規模ながら古墳時代や平安後期にもあったと考えられています。


かつての海岸近くには、現在もその名残として海が近かったと推測できる地名が残っています。




平泉は奥州王国の都で、平安までの日本はせいぜい仙台あたりまでだったとされています。

平泉付近は琵琶湖より大きな内海があり、まさに平泉でした。


多賀城は、当時は岬の突端にあったと思われ、灯台の役目もしていたと考えられます。