【縄文海進】その4;名古屋付近 | しま爺の平成夜話+野草生活日記

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縄文海進とは、縄文時代の一時期地球表面気温が上昇し、南極などの氷が解けたこと、さらに海水の膨張で海面が上昇し、現在の標高50mくらいまで海が上昇してきたことを言います。

このため、関東平野や大阪平野、濃尾平野などの大部分は水没していました。


これはおそらくですが、当時大工場や排気ガスをたくさん出す車が走っていたからではないと根拠のない予想をしています。


また、こうした海進は時々あり、縄文時代ほど大規模ではありませんが、古墳時代ならびに平安時代末にも起こっています。


その記憶を残すのが、地名です。

かつての波打ちぎわには、その名残となる名前が残っています。




今回は、濃尾平野。




なお、熱田神宮のある場所あたりは、細長い半島で陸地とつながっていたか、島であった可能性が高い場所です。

古代には、伊勢などから東海に移動する中間点にあたり、海上交通の要所でした。


最近の洪水の時でも、熱田神宮付近は水に浸かりません。