【縄文海進】その2;北九州 | しま爺の平成夜話+野草生活日記

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縄文海進とは縄文時代のある時期に、二酸化炭素ををたくさん出す車が走っていないのに地球が温暖化し、海面が50mくらい上昇(関東平野はほとんど海の中)したことを言います。


縄文海進が有名ですが、古墳時代や平安時代の終わりごろにも小さな海進があり、一部の村などが海になったと思われる記録もあります。


このように、人工的な二酸化炭素排出とは無関係に地球表面の気温は上下しています。


地球温暖化人工排出二酸化炭素悪玉論推進組織あたりの出す資料には、おそらく西暦1800年以前、または西暦1400年以前のグラグは載せていません。


なぜなら、それは工場や車が出す二酸化炭素を悪者にしてお金を稼ぐ組織や団体にとって都合が悪いデータがあるからです。


でも、縄文や古墳時代には地球が温暖化して海面が上昇していたとおもわれる名残を、地名の中に見つけ出すことができます。

これを隠すには、地名を変えるしかありません。



今回は、北九州の中にある海進の名残をそれをピックアップしました。


紫部分は現在海抜50mまでの地域で、かつては海だったと思われる地域です。



なお、大宰府や宇佐神宮、吉野ヶ里も重要なため、参考に記載しています。

四大文明発祥の地同様、すべて海岸沿いにあることが分かります。

また、大宰府の位置から考えると、邪馬台国の位置が大宰府より東、かつ大宰府より南との推測もできます。

残念ながら、博多や北九州市あたりは邪馬台国の可能性はほとんどないですね。

おそらく当時は、海の中だったでしょうから。