【勇気と技術の無さを自覚した話】手紙 | しま爺の平成夜話+野草生活日記

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好きな子がいるというのに、言葉に出す勇気がない。

かといって、数式を並べて証明問題を解くような文章しか書けず、相手を融かせるような文章を書く技術もない。

ああ、なんと自分は臆病で不器用なのだ!


そんな勇気の無さや、手紙を書く技術の無さを嘆く話ではないのです。


これまた、日本の常識ではなかなか実感できない手紙の話。


ここまで読んで、漢字圏の中心ででしばらく暮らしていたことがある方なら、「ああ、あの手紙のことだな」と察したはず。

はい。その、恐怖の手紙のことです。




その大陸にある漢字国は、食べたり出したりは実にオープンである。

ヒマワリやらカボチャの種の皮を歯と舌を使って器用に向き、食べる。

殻は、道だろうが部屋の中だろうが、いやいやホテルのロビーだろうが、ペッペッと履き出す。


所構わず痰唾を吐くのはよく知られているが、このヒマワリ・カボチャやスイカの種のペッペッも、初めて目にするとびっくりする。


でも、それはまだ許せる。


今や世界を代表する国際都市になったからそんなことはないだろうと思うが、かつては1千万都市のど真ん中で、子どもが急に座り込んだかと思うと、ブードスンということがあった。

大通りの中でである。

子どものズボンの尻には大きな切れ目があり、簡単に尻が出るようなデザインだ。


なかなかオープンである。

流石に都会で大人がそんなことをしているのを見たことはないが、田舎では大人の女性がそれをしているのを目にしてしまったことがあった。

すぐに目をずらしたが、尻の後方には餌にありつこうとカチョウがたむろしていた。


これは聞いた話だが、比較的最近までこんなことがあったらしい。

何をしている最中に、空腹に我慢しきれなくなった豚に尻を突かれたとか。

その国に行く前までなら、単なる笑い話で終わっていたろう。

しかし、今の私なら十分ありうる話だなと考えてしまう。




ところで、その漢字の国で私が仕事以外で最も気を使ったのは、そのあたりである。

とにかくあまりにオープンで、勇気のない私は公衆の場ではなかなか所用ができない。

だいたい、千万都市で公衆のそれを見たのは3つくらいでもあったが。

だから、必ず大きい方はホテルでしておく。

男だから、小さい方はどうにでもなる。


が、一度だけ腹痛にどうにも我慢ができなくなり、初めて公衆何とかに行った。

お腹は痛いが、いざそこに行くとなかなかその勇気がない。

隣には、平気でぶーぶーの爺さんがいる。

その爺さんの跳ね返りにも注意しながらも、どういう姿勢でそこで出すのかを学んだ。

l国際空港のように高級トイレなら、どうするのか見当がつく。

が、公衆トイレは作りが単純すぎて、

どうして用を足すのか分からない。

長い溝が1本あるだけである。そこに尻を向けて皆が並んで作業をする。

爺さんから、それを学んだ。

が、バランスを崩すと落ちそうだ。


なかなかペロッと出す勇気がなかった。

また、後ろに落ちないか不安でもあった。


が、我慢の限界。




手紙の話のもどろう。


漢字国では、手紙とはレターのことではない。

ティシュぺーパーのことだ。

しかしながら、その語源は違うだろう。

手を紙代わりに使うのである。

が、私にはそれをする勇気も、技術もなかった。



ティッシュなどという超高級品は、入手が難しかった時代である。

不運なことに、その時は持ち合わせがなかった。

パンツが1枚、手紙の代わりになった。




昔の漢字圏大陸国ではなくとも発展途上国に長期いらした方ならば、おそらく似た経験をしているのではなかろうか。



手紙。


おそらく日本人で、これをする勇気と技術のある方はあまりいないだろう。


少なくとも私は、勇気のない弱虫であり、その技術もない素人であった。




★これは、ほとんどすべて事実です。