【虎に囲まれた兎の話】私は大将じゃありまへんがな | しま爺の平成夜話+野草生活日記

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かつて、その橋にはこんな標識が立てられていたという。


「犬とS人は渡るべからず」


DCIM0358.jpg




こんな建物が、80年前にあった。
さすが、魔都である。

さて、話は下って20世紀後半。

かつては共同租開として、イギリス人、アメリカ人、日本人などが住んでいた橋向こう。
しかしながら、なぜか日本人ばかり責められる昨今だ。
フランスなどは、町のど真ん中に独自の巨大な租開を作っていたのに、こちらもまた問題にされることはない。


ところで、現在はもちろん租開はなく、かつての共同租開の中で比較的日本人が多く住んでいたあたりは、20世紀後半は庶民のなかでもやや余裕のある人や低階級党員の住居となっていた。


これも法を破ったことになるかも知れないが、そんな住宅を訪れたことがある。
本来は1世帯住居なのだろうが、5、6家族が住んでいた。

そこの住人たちと麻雀を始める。

が、日本でいうアリアリ麻雀よりさらに縛りが軽く、私はどうもルールがよく分からぬうちにボロ負けして終わった。

問題はここからだ。

土産に買っていった酒を飲み始める。

最初のうちは和気あいあいだったが、途中から私の友人である1人を除いて、そこにいた面子の顔色が変わり、だんだんと声が大きくなってきた。

かなり方言がまじっているが、サパニン(日本人)という言葉が増えてきて、友人が彼らを抑えにかかる。
が、そんな彼も多勢に無勢。
険悪な空気が、いっそう充満してくる。





どうも、私は日本人代表として責められているらしい。
青竜刀は出てこなかったが、口から唾を吐いてなにやら私を攻撃、いや口撃してきた。

現地の連続ドラマで、日本人大将役をしている人物のことを話しているやに聞こえた。

私は大将じゃあありまへんがな。

そんな気持ちである。

かと言って、こうした場面では下手に謝ってはいけない。

私は静かに彼らを見つめるばかりだった。

かわいそうなのは、私の友人だ。

私を庇ってくれているのが分かる。
が、同じ棟の住人との間で板挟みにあい、声をからしている。

日本なら警察が来るレベルの声での真夜中の喧騒だ。
後で知ったが、彼らは他人にも聞こえるように大声を出し、いかに自分の主張が正しいかを多くに知ってもらう。
そんな意識があるらしかった。


今はどうか知らない。

しかしながら、当時は友好とか日本●●先生熱烈歓迎とかいう垂れ幕を掲げながらも、毎日日本人の悪逆非道ドラマを流し、目一杯子どもたちに日本人は悪魔だ鬼だという教育をしていたのを、この目で見ている。
だから、そういう気持ちが若者の多くにはあるであろうことは予想できていた。

しかし、夜中に虎に囲まれることまでは考えつかなかった。






翌日、友人は気まずそうな顔で挨拶をした。

頬には、幅の広い絆創膏みたいものが貼ってあった。


歯痛ではなかったようである。



そんなことがあった。








これは小説ですー。