
ラとかラアとかいう音は、はるか昔のアジア(現在のエジプト)では片方の目を意味した。
天体における目とは、太陽であり月だが、エジプトではラアは太陽を指す言葉になった。
エジプト王は太陽の息子として、その名前の中にサアラアまたはラアサアなどの言葉が入る。
また、宇宙の真理を司るマアトの名前や、その美辞であるアアが入ったりする。
これは先日、アア・マアト・ラアサア・アハ・エム・ハム(アマテラスオホミカミ=天照大御神)で説明した通りだ。
このラアに似たラまたはレの音は、ポリネシア(ハワイ・ニュージーランド・イースーターで作られる太平洋の三角形の中)の島々では、もうひとつの天の目である月になる。
ちなみに、アラビアなどのアッ・ラーも、これに関係するだろう。
エジプト語などのラア=太陽は、エジプト文明の先輩にあたるメソポタミアの影響も考えられる。
メソポタミアで太陽の光などは、ウラである。
このウラのラがラアになったのかも知れない。
また、このウラは、ウーラ→オーラと変化し、現在語では見えない光や霊光を意味するものになる。
メソポタミアの光を意味するウラは、日本語にも残っている。
例えば、ウラ・ラカとは、穏やかな光が差している状態を意味する。
ちなみにラカとは、ラアカアのことで、ラアはやはり太陽、カアは太陽の中にある鳥、または生命力、霊力だ。
ホガ・ラカのラカでもあり、ともに何らかの力を宿している状態を意味する。
また、ウラはローマなどでは天空全体を意味するようになった。
だから、天空はウラノスという。
ところで、古代日本語では、語頭にラ行音をもってくるのはタブーだった。
だから、漢や魏あるいは呉あたりから漢字言葉が入ってくるまでの日本語には、ラ行音で始まる言葉はない。
そのため、目を表すラは、古代日本語ではマの音に変わる。
例えばそれは、まなこのマであり、まつ毛のマ、まぶたのマ、まぶしいのマである。
あるいは、まあるいのマア、豆のマだ。
このマの音が更に変化して、メに変わると目になる。
めでたしのメ、めづらしのメのメでもある。
豆とは、マ+メ であり、双方とも太陽や月のような丸いものを表す言葉である。
ただし、女性をメまたはベと呼ぶ古代の音は、おっぱいが丸いこととは無関係で、これはおっぱいを吸うことに関係する。
ラアは現代英語にも影響しており、先に説明したオーラ以外にも、レイ(光線)、ライト(光)、ルナー(月)などがある。
ちなみに、豆を意味するビーンもミーンの変化音であり、ムーン(月)同様マメのメの仲間である。
人類の能が発達し動詞を発明してからも、こうした流れは変わらない。
ミル(見る)とか、ルック(見る)、ラディアントゥ(輝く)などだ。
ラジウムやらラジオも、もともとは光線などに関与した言葉だ。
という妄想をしてみた。
ただし、話の中に出てくる言葉の意味や発音は、だいたい正しいです。
が、こうした理論展開は妄想の域を出ていないでしょう。
ただし、一部の語源辞典に載っているような、
盗み→盗むもの→ネズミ
などという、動詞から名詞を導くようなどうしようもない駄洒落、言語の発達過程を無視したパッパカパー説よりは、かなり信頼性は高いと思っています。