少し前のことになるが、田布施システムとかいうものがあって、これは安倍首相はじめ現在の日本政治の鍵となっているというファンタジーがあることを書いた。
さらに、こうしたファンタジーを真面目に書いていらっしゃる方は、かなりブラックジョーク好きな方か、日本の歴史を知らないか調べない方か、昔の日本語を知らないか調べない方か、あるいは何も考えずにただ他人の説を鵜呑みにしているだけか、はたまた異常な思考をする方の可能性が高いことも書いた。
こうした方々の頭には、田布施を固有名詞と捉えてしまう傾向がある。
実に現代的な考えだし、いかに古文やら古文書を調べていないかもわかる。
田布施とは、江戸時代でいうなら新田に似た意味をもつ普通名詞だった。
現在まで残る由緒ある場所が少なくなったため、いかにも特定の意味を持つように意訳している話ばかり目につく。
真面目な方や素直な若者などは、コロリと騙されてしまうだろう。
それに似た不思議な話を、また目にした。
明治になって皇居まわりに楠木正成像を建てたのが、その田布施なんとかとかに関係するというのだ。
はちゃー!
大丈夫?
楠木正成は確かに南朝を代表する武将でしょう。
しかしですよ。
後醍醐天皇を助けた武将でもあります。
足利尊氏と戦っています。
ところで、皇居に楠木正成像と言っている方は、言っていることがおかしいと気付かないのかなあ。
今は皇居ですが、江戸時代は徳川家の居城、幕府の中心です。
徳川家の先祖である松平家は本来北関東の出とも言われ、足利家とは非常に密接な関係にあります。
また、家康時代にも主従関係にあったわけです。
さて、そんな足利家の敵将たる楠木正成像を、自分の家に建てますか?
普通は、建てませんね。
でも、天皇家ならば、天皇家を守るのに功績のあった者の像くらいは建てるでしょう。だから、明治以降に建てたのでしょう。
つまり、松平や徳川家の敷地でなくなり、天皇家の敷地になってからは。
田布施なんとか教の方は、楠木正成というと南朝ばかり力説する傾向にあります。
が、楠木正成の助けたのは後醍醐天皇。
後醍醐天皇は南朝初代だけではなく、第96代天皇ということにもなっています。
天皇家の先祖、危機を救った偉大なる方なのです。
もし、後醍醐天皇にこだわるならば、なぜ名和はんに触れないのでしょうか?
多分、知らないのでしょうね。
しかし、田布施を特定の意味がある固有名詞として力説する方々は、かなり痛い。
たぶん、ほとんど古文を理解できないか、調べようともしないのだろう
言い忘れました。
現在天皇家では、南朝を正当とするようになりました。
ですから、明治以降になってから楠公など南朝よりの武将の格上げが行われています。
こうしたことは、別に南朝前後に限ったことではありません。
そうそう、楠木正成のような新しい話ではなく、紀貫之なんざ千年の時をを経て名誉回復されています。
田布施だの楠木正成だの言う方は、どうしてこのあたりには触れないのでしょうか。
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私もブラックジョークは好きだし、SFも大好きだ。
ただし、そうした話にはちゃんとこれはフィクションですとか、ジョークですとか書いていないと、中には事実と勘違いする人もいると思った。
誤解を受けないように、作り物の場合にはそうした記述が必要ではないだろうか。