【ある思索】自称無宗教者の宗教信仰の例 | しま爺の平成夜話+野草生活日記

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時々、私は無宗教だという話を聞く。
そうか、無宗教という宗教に入信しているのかという皮肉はおいておき、本題に入ろう。

私は、日本には目に見える強いタガ、あるいは庶民をきつく縛りつけるほどの宗教はないと考えている。
ただし、精神的な支えやタブーの骨にはなっているだろう。

宗教とは何かという定義は、私にはできない。

しかし、その一面としてすべての人には見えないが、その信者には見えるということを挙げられると思う。
たとえば悪魔が、ある宗教に入信している信者だけに見えるといったようなものだ。

そんな新しい宗教の1つに、南京大虐殺教がある。

日本軍が南京に入り、多くの庶民に喜ばれたこと。負傷者の手当てをし、敵の死者は弔い、住民には食事を与えたこと。
それらを写した映像や新聞記事ばかりか、海外の資料もたくさんあること。
それなのに、30万人とかの虐殺があったと信じている方。

これは無いものが見えるのだから、明らかな宗教だと思う。



ちなみに、南京では次のような虐殺または大量死はあったようだ。これは資料に残っていたのではないかな。


・日本軍が南京に入る前に政府軍は、住民の建物を焼き、庶民を殺し、あるいは強奪、強姦をして南京から逃げた。


・戦後に、国民党軍が共産軍に攻められ、多数の死者を出した。また、最終的に南京にいた兵士らは無条件降伏したが、その兵士たちがどうなったかは不明。
中国の歴史から考えれば、容易に推測はつくが。






また、最近やっと認めたようだが、本多勝一氏が編纂している南京大虐殺に関する本に使われていた代表的な写真は、全く関係のないものだ。
むしろ、日本軍人と中国大陸庶民の深い絆を写した写真だ。

本多氏は最近認めたようだが、これは私は少なくとも2年前には知っていた。

しかし、やりますなあ。
本多勝一氏は朝日新聞の顔。
そしてそのインチキ写真は、戦前のアサヒグラフに日本軍人が支那の婦女子を守るものとして撮られたもので笑顔の女性も見える。
ところが、日本軍人が連行する中国人女性たちなるものでは、笑顔部分をカットしたり簿かしてしまっている。


確実な確信犯だ。

つまり、嘘をつこうとして嘘をついた。

よくある南京大虐殺の写真は、言わずもがな。

ひどいものは、日本人を惨殺したものを、自分たちがやられた写真として使っている。


さらに悲しいことは、こうした作文や写真集が、日本人によって捏造されていることだ。

よほどのマゾヒストなのだろう。


悲しい限り。


そこまで、日本人、いや自分の先祖や先輩をおとしめたいですか?


まあ、狂信的な宗教信者とは、映像や写真や資料より、透視や水晶玉に映る映像などが信用できるのだろう。
あるいは教祖の書いた本やいたこの言葉のが、当時のニュース映像や各国の新聞記事より、はるかに正しく、真実だとなるに違いない。

まあ、南京大虐殺教とはそんなものだろう。