【日本的勝敗】多分反発を招くであろう論 | しま爺の平成夜話+野草生活日記

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日本人について、歴史や遺伝子と絡めて考えてみたい。
日本においては、何らかの争いがあっても、その相手を徹底的にやっつけてしまうということはなかった。
古くは神話時代の国譲りに始まり、新しいところでは明治維新で敵の大将の徳川始め、勝に代表されるように幕府側の人間を重用していることでもわかる。
確かに、会津藩などは冷遇されたが、戦いが終わってからは無意味に殺人はしていないし、むしろ敵たる白虎隊などに対しては弔いをしている。

他国などでは考えられないことだ。
特に大陸や半島などでは、敵の先祖の墓まで暴いたり、敵将を八つ裂きにしている。八つ裂きとは、日本では考えられないが、これは比喩ではなく、馬の力を使って実際にあった刑だ。

こうした日本人と大陸人などの差は、実は生化学的にも明白である。


Y染色体のある部分を調べることにより、かつてのミトコンドリア分析では分からなかったことが、次々に明らかになってきた。

大まかなことは以前データとともに記事にしているが、日本人にはかなり古い(世界で唯一の)パターンを残した人と、比較的新しいパターンを残した人とが混雑している。

このパターン比率を持つ人種は、現在の地球上では日本人だけである。
古代からの人種が混在している。

他国では、このパターンはない。
似たパターンでさえない。
これは、日本人が昔から戦いはしても、相手を全滅させるようなことはしなかったことを意味する。


日露戦争でも、死者は手厚く弔った。
南京入城の際も、敵兵たる中華国民政府軍兵士を弔い、負傷者の手当てをしている(ただし、一部新聞社は戦前はそうした記事を書いておきながら、戦後になって全く逆のことを書いている。まあ、一部新聞社にとっては嘘や捏造は日常茶飯事だろうから、あまり驚くことではない。驚くことは、そうした捏造記事を鵜呑みにする人がいまだにいることだ。戦前のそれら新聞社の記事を見れば、自己矛盾した内容であることは、小学生でも分かるだろう)。



話が飛んでしまった。

日本人が優秀で、かつ善人の集まりだなどという気はない。

しかし、昔から大量虐殺をしたりする民族ではないことは、遺伝子をみても推定できるだろうということだ。

お隣の半島や大陸のように、半世紀前まで自国内で大量虐殺をすることが常識だった国と日本の常識が同じだなどと考えると、とんでもない勘違いをするだろう。



こんな考えをする人に対しては、私は三十路過ぎまでひどい人種差別だと考えていた。


が、今はいささか見方が違っている。

ほとんど納得している。

日本は古来から八百万の神を祀る国であり、国民だった。
日本が一神時代を迎えたことなど、一度もない。

それは、いまだに八百万の神々を祀る神社の多さ、あるいは逆にクリスマスから、大晦、お正月、七草粥、どんと、七夕、お盆、節句……。
いまだに生きる種々の神々を祀り祝う行事のよく言えば寛容さ、悪く言えばいい加減さからも明らかだろう。

明治維新で一時的に現人神思想ができたが(いや、昔から天皇または現在天皇とよばれる存在は、かなり昔から現人神とか至天の君であり国の象徴だった)、これとてキリスト教徒もユダヤ教徒も、もちろん幾多の仏教徒もいたし、仏像を壊したり僧侶を殺したりはしていない。

一部大陸の話と同一視する見方は、片腹痛い。


梅原先生のおっしゃる神は死んだの意味は、これら大陸や半島の自国民大虐殺政策と同一視したものではないだろう。


ちなみに、戦後に行った自国民大虐殺の数は、大陸では数千万人。
半島では、数十万人から百万人と言われている。

戦後日本に、そんな自国民大虐殺があったかなあ?
1万人たりとも、いや千人たりともない気がする。
(あった場合は教えてください)


だから、これらの国々と日本の歴史を、同じまな板の上で論ずるのは奇妙なことだ。





日本にも、試合や戦争の勝ち負けはある。


しかし、死者にまで勝ち負けの責任を被せ、その祖先や子にまで罪を被せる決まりや風俗は、最近はほとんどない。

先祖の行いから現在の子孫の財産を没収するような法律を作ってしまう、日本の常識では考えられぬことをするお隣とは、大きい違いがある。


しかし、マスコミはこうした不都合は隠すから、インターネットが発達する前までは、多くの日本人が幻想歴史に罪悪感を覚えていただろう。

私も似たようなところがあった。


教えられない歴史があるのは、やむを得ない。

しかし、嘘の歴史を教えることは、早く止めて欲しいものだ。