だいたいどういう輩がそうなのかは、少しづつわかってきた。
それにしても、想像力が足りない人たちだ。
湯川さんがある組織に関連していることを、自慢げに流す国会議員やら学者。
これは、捕虜を早く殺せと言っているに等しい。
そんなことをしている輩が、差別反対だのヘイトスピーチがどうのと言っている。
恥を知れ。
そう言いたいが、恥という感覚が理解できない人たちの可能性もある。
また、一部のピーナッツ議員が志位さんに叱られたようだが、この時期に政権批判をすることは表現の自由であり、それを抑える志位さんが変だと言っている輩。
これまた想像力の欠如だ。
自分の主張と、人の命にかかわる微妙なやり取りが理解できない。
これは、その人の能力やら背後の組織にも関係するのだろう。
中国も北朝鮮も確かに不自由だろうし、表現の自由などは非常に制限されるだろう。
しかしながら、産経支店長の拘束でもわかるように、あるいは親日罪などというもので分かる通り、心の中さえ、つまり好き嫌いさえ制限する国もすぐ近くにある。
さらにアウシュビッツを批判することはしても、アウシュビッツに勝るとも劣らない虐殺には全く触れない。
表現どころか、心まで制限する国がありますか?
自国民を虐殺し、他のせいにして頬かむりしている国がありますか?
でも、この国への批判はないようだ。
私にはほとんど理解できない理論を展開する方々の場合、あるいは理論的な話をすると途中から罵倒、蔑視語になり理論展開ができなくなる方々の多くの場合、そうした傾向が強い。
いずれにせよ、こうした考えができない輩は、想像力がなく、人命を軽視しているとしか見えない。